コールマンを創る人々 特別編 取締役営業本部長 小林常晃 2017/12/19

小林常晃さん

長年の営業活動を支えたのは、この笑顔と相手を飽きさせない会話だった

コールマングループでただひとりの栄誉

 コールマンは、スポーツ・レジャー関係のジャーデン(※)という世界的な企業グループの中心ブランドだが、そこにはスキーのK2、野球のローリングス、釣りのピュアフィッシングなど30を超す人気ブランドが存在する。その中から優秀なスタッフが選ばれ、「ジャーデン・アワード」を受賞するが、全世界でわずか5名という狭き門であり、コールマンから選出されたのは、これまでにただ一人だという。

会員向けイベントにはいつも小林さんの姿が…。その笑顔にはユーザーへの想いがにじんでいる

会員向けイベントにはいつも小林さんの姿が…。その笑顔にはユーザーへの想いがにじんでいる

 今回登場していただくのは、その受賞者であり、コールマンジャパンの営業部隊のボス、小林常晃さんだ。
「ジャーデンには社訓のような5つのテーマがあるんですが、それを実現できているかどうか…で選ばれます。僕は立場上、部下の推薦文を書いていたくらいで、自分が受賞するなんて思ってもいなかった。びっくりしましたよ。“今度、初めてコールマンから受賞者が出るらしい…”という噂が聞こえてきて“アメリカ本社の誰かだろうなぁ…”なんて思ってたんですよ。そうしたら自分でした。ニューヨークに呼ばれてジャーデンの会長と食事をするんですが光栄でしたね」

2011年に、コールマングループから初めてJarden awardに選出された際の記事。その偉業は今も語り継がれる

2011年に、コールマングループから初めてJarden awardに選出された際の記事。その偉業は今も語り継がれる

 もちろん、イベントやファミリーセールで小林さんの姿はよくお見かけしたし、挨拶は交わす仲だったが、これまでじっくり話をしたことはない。その貫禄たっぷりの姿から、鬼のように怖い営業本部長?(失礼)なんて妄想したこともあった。
 しかし……。「どうも!」と、右手を上げながら、小林さんがインタビュー室に現れた瞬間、“もっと早くこんな時間を持てばよかった”と後悔した。その満面の笑顔にヤラれてしまったのである。
 挨拶もそこそこに淀みなく続く抱腹絶倒の昔話…思わず胸が熱くなるコールマンへの愛…ひざ突き合せてそんな話を聞いたら誰だってファンになる。彼はこうして全国にコールマンの魅力を伝え、広めていったんだなぁ…と感じ入りながら、話は2時間を超えた。
※2015年にジャーデン社は、ニューウェルラバーメイド社と合併し、ニューウェルブランズ社になりました。

陸上のエリートが出会ったアメリカンフットボール

 小林さんは1954年生まれの自称大阪生まれ大阪育ち。小さな頃から運動神経が抜群だった。
「本当は東京らしいんですけどね。1歳にもならないくらいで大阪に引っ越したので、大阪生まれの大阪育ちという感じです。子どもの頃はアウトドアっぽい思い出はないですね。親父も仕事が忙しかったし。足が速かったので中学校から陸上部で全国大会入賞だったかな。高校ではハンマー投げでインターハイも行ってるんですよ。その日本記録を持ってた学校だったんですね。朝練習して、授業受けて、また夜中まで…です。ご存じの通り、ハンマー投げって人がいる時間帯は練習できないんですよ」
 陸上競技でインターハイ…そんなエリートコースを進んでいた小林さんだが、大学進学と共に、新たな世界へ挑戦する。それはコールマンと同様、アメリカを代表するスポーツだった。
「大阪経済大学に進んで “もう個人競技はいいわ”と思っちゃったんですね。深夜にカレッジフットボールの番組やってて、“アメリカのスポーツってかっこいいなぁ…”と。時代はアメカジが流行り始めた頃で、街でもダウンパーカーとかアメリカンフットボールのジャージを見かけるようになっていました。でも、そりゃ引き止められますよ。“お前、これだけの実績があるのにほかのスポーツやるんか?ふざけるな!”って怒られて」
 この転身が、彼の人生に大きな影響を与えることになる。
「それがね、入ってみたら少しも楽しくないんですよ(笑)。あんな重い防具をかぶってね、夏のクソ暑い時にヘルメットかぶって延々走らされるわけ。もう逃げようかと思いましたね。3回生くらいでやっと、少し面白いかなぁ…と。で、4回生で、(監督から)“キャプテンやれ!”って言われたんです。“とにかくリーダーとしてチームをまとめろ”と。そして初めて二部リーグから一部へと昇格できたんです」
 この経験が、社会人となって組織を率いる上で大きく役立ったことは想像に難くない。
「オール関西チームにも選ばれて、アメリカ軍と試合をしたんです。フィリピン駐留の海兵隊とね。それで僕の人生観が変わりましたね。試合が始まって、百数十㎏の巨漢が目の前にいるわけです。“こんなデカいのは動きが鈍いからどうにでもなるわ”となめてたら、パッと立ち上がった瞬間、目の前から消えてるんですよ(笑)。横に回られてる。すごいスピードなんです。勝てないな…と。それから必死に練習しました」

今年10月、Colemanが所属するOutdoor & Recreation DivisionのPresidentが来日した際、功績を讃え、サプライズでゴールドのランタンが贈られた

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小売り業から商社、そしてメーカーへ…

「大学時代、アメリカンフットボール関係以外思い出なんてほとんどない。先輩に斡旋されてアルバイトをやったことがあるんですよ。“お前ら部費払うのに金がいるだろう?”って。それで、ピンクレディーの警備をしました。あれは楽しかったなぁ…。(アメリカンフットボールは)9月から2月がシーズンなんですね。で、夏場少しヒマになる時があって、デパートの果物売り場にいたりもしました。その時、“こんなに売れるって小売りは面白いなぁ”と思ったんです」
 アメリカンフットボールに打ち込んで、気がつけば就職戦線はほぼ終盤。なんとか大手流通グループ系のスポーツ用品店に入社したという。
「アウトドアが楽しいと思ったのはその会社に入ってからですね。九州の店にいた時、スキーとテニスのマネージャーだったんですが、売り場にはトレッキングとかコールマン製品もあってね。店長の方針が“店にある物は全部使ってみろ!”でした。実際に使ってみなければお客様に説得力がないだろう…というわけです。定休日は水曜でしたが、スタッフ全員でキャンプ、スキーウインドサーフィン、BBQなどにトライしました。釣り場も横にあって“釣りもやってみろ!”と。無理やり竿を買わされて“ほら、行くぞ!”。だから、釣りもほとんどやってますよ」
 ここで、後にコールマンの営業部隊を率いる小林さんの礎が創られた。
「閉店直前に、店長からマネージャー達が呼ばれるんですよ。売り上げが悪いってことで、閉店後に売場レイアウトのやり直しを命じられるわけです。深夜までかかってね。終わると、“おい、飯行くぞ!”って。怒られるだけ怒られた後に、飯!って言われてもねぇ…(笑)。でも、そうやって翌日になると、ネガティブなことをケロッと忘れちゃってるんですよ。そういうリーダーシップって凄いなぁ…と思いましたね。で、真似させてもらってます」
 やがて、小林さんはアウトドア系の商社へ転職する。主な業務は営業…つまり卸だった。それまでの、エンドユーザーとダイレクトに接し、そのニーズにストレートに対応する小売り業務とは異なる世界。不安はなかったのだろうか。
「そうなんですよ。最初は、そんなことできるかな…って。でもね、よく考えてみたら、バイヤーさんと商談するのも、店頭でお客さんに売るのも、相手が望んでることを察知して、それに合う提案をすればいいんじゃないか?って思ったんですよ。小売りも卸も同じじゃないかって…。それに気づくまで1年くらいでしたかね」
ここで、前年比10倍の売り上げを達成するという離れ業を見せ、営業マンとしての評価を高めていった。
「364日働いてましたからね。毎日朝から夜中2時、3時。部下も付いてきてくれたけど、今なら超ブラックですよ。でも、結果がついてきたから楽しかったね。しんどいとか思ったことはない。苦しいと思ったこともない」
 やがて、その実績を買われ、コールマンジャパンから声がかかる。
「メーカーに身を置いてみたいと思ってたんです。物を創ることができる…そこにお客さんのニーズを商品に反映できるんじゃないかと。それは小売りでも問屋でもできなかった」
 実はこの時、退職後、コールマンに入社するまで半年ほどのタイムラグがあった。その間、大手パンメーカーの工場でアルバイトをしていたという。
「ここで人生観がまた変わりましたね。生産ラインで働いてましたが、季節によって肉まんとかクリスマスケーキを集中的に作るんです。ありゃキツかったですねぇ。自分よりずっと若いヤツが“おいっ!そこの!遅れてるぞ”とか偉そうに言うわけです。“おまえ誰に物言ってるんや!”と(笑)。でもね、向こうは社員だしね。いい経験になりました。コールマンから声がかかったくらいで天狗になってちゃいかんぞ!と自分に言い聞かせたんです」

小林さんの奥さんが昨年オープンさせたカフェ「森のじかん」。店内には小林さんのコレクションが所狭しと並んでいる

小林さんの奥さんが昨年オープンさせたカフェ「森のじかん」。店内には小林さんのコレクションが所狭しと並んでいる

小林イズムの開花と成熟

 マネージャーとして入社した小林さんは、即戦力として実績をあげていく。そこにギルフォイル前社長が着任した。
「外国人社長って、だいたい自分の信頼できるスタッフを連れてくるじゃないですか(笑)。あぁ、これで僕も不要になるんだな…と思ってたわけです。でも、いつまで経っても連れてこない。それどころか、毎週宿題を出してきました(笑)。取引先との関係とか売り上げの分析とか…。宿題は英語で出されたので、読むのも面倒くさくて放っておいたんです。そうしたら出張に同行した時、“小林君、(宿題は)どうするの?”って。英語で答えを書いて提出するのは面倒くさいから、出張のたびに秘書に頼んで新幹線や飛行機の(社長の)隣の席を確保して、1年かけて全部説明しました」
 やがて、本部長を経て取締役営業本部長に就任する。アメリカンフットボールで磨きをかけたリーダーシップが身を結んだのである。
「そうですね………無意識のうちには(影響が)あるのかな…。フットボールの試合で、あるプレーが通らないとするじゃないですか。つまりミスがあったということです。クオーターバッグがプレイ(その時の攻め方のフォーメーション)をコールするんですが、全員がそれを理解して、そのとおりに動くことができれば絶対に攻め込むコースが空くんです。誰かが理解していなかったり、するべき役割を果たせなければ止められてしまいます。それをどうカバーするか?なんです。そりゃ、体調も、イレギュラーもあるわけですから完全にミスを防ぐのは不可能です。だから常に周りに気を配っていて、ミスがあったらすぐにカバーする。それを全員が意識して、全員が全員をカバーする。そういう考え方が伝わっていたのかもしれませんね」
 営業といえば数字がすべて…売り上げ達成こそ至上命題…というイメージが強いが、それを上回る歓びがあったという。
「売り上げの達成もうれしいんですが、それよりも(営業活動の結果が)自分の読みどおりになった時ですね。いい時はいいなりに、悪い時でも悪いなりに…。みんなから集まってきた情報をもとに、“じゃぁ、こうしてみよう!”って計画を立てて、そのとおりになるとうれしいもんですよ。ギルフォイルさんがよく言ってました。ダメな時はダメなんだ、と。でも、それをカバーする何かを持ってこいと叩き込まれました」
 小林さんの営業活動を支えてきたのは、ユーザーへの温かな想いだ。
「お客さんの立場と目線で考えよう…ということですね。例えば、お店に並べるとして、単に陳列するのと、思わず手に取りたくなるような演出を加えて並べるのでは大きな違いが出ます。ポップにしてもね。“お前自身が買いたくなるか?”って部下にいつも言ってきました。どんなにいい商品を作ったって、そこがダメなら手に取っていただけないじゃないですか」
 こうして、長年コールマンジャパンをリードしてきた小林さんだが、2017年12月末をもって現役を引退し、顧問に就任予定だという。…とはいえ、その夢は果てしない。
「テントって重かったり、雨が降ったら撤収とか大変じゃないですか。みんなあれがイヤなはずなんです。もっと簡単にパッとできるようになったら…と思うんですよ。それじゃつまらないという人もいるとは思うんですけどね(笑)。いろんな要望に細かく対応できるメーカーでありたいんです。個人的にはガソリンランタンの新しいタイプを開発してほしいですよね。116年前に生活の一部として生まれたランタンからスタートして、今も続いてる…そんなブランドってないと思うんです。その歴史は自慢ですし、そこに関われているのは私の誇りですよね。」
 そう言って静かに微笑み、席を立った小林さん。ジャーデンアワードを受賞した男の顔は、ブランドへの誇りに満ちていた。

自宅の趣味の部屋。キャンプ、バイク、自転車、オートバイ、釣具…愛してやまないアイテムに囲まれる至福のひととき

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