コールマンを創る人々 第37回 東京営業所 課長 鈴木正史 2018/10/05

入社21年目の鈴木正史さんは東京営業所のベテラン営業マン。まったく畑違いの食品業界からの転職と聞き、ちょっと不思議な気がするが、その意外な背景に驚かされた。少年時代、日本代表クラスとサッカーボールを追った逸話も思わず引き込まれる迫力で、彼の歩みはまるで劇画のような面白さだ。

キャンプデビューは4歳。飯盒炊飯の思い出
鈴木正史さん

人懐っこい笑顔と、明るい語り口でどんどん話に惹き込まれてしまう

 鈴木さんは、1971年静岡県沼津市生まれで、小学校時代を除けば、大学入学までを同市で過ごした。伊豆の海や箱根の山など、近隣に豊かな自然環境を持つ沼津は、アウトドアレジャーに恰好のロケーション。彼も野外が大好きな少年だったという。
「でも、両親はそんなにアウトドア派ではなかったですね。親父はクルマのディーラーに勤めていたんですが、当時は週休2日ではなくて、休みの日曜もゴルフに出かけていたので、たまに海水浴とかキャンプに連れて行ってくれたくらいです」
 とはいえ、キャンプは幼稚園時代にデビューを果たしている。
「親父と兄貴と3人で…。静岡県に藁科川という清流があって、その河原でキャンプをしました。小さな丸石を拾ってかまどを作り、飯盒でご飯を炊いたんです。薪を拾ってこいと言われて一生懸命探したのと、炊きあがった米がとても芯が残っていたのを覚えています。楽しかったですね…」 
 小学校に進み、一家は静岡市に転居する。そこで出会ったのがサッカーだった。
「静岡ではね…とにかく家の周りに蛇が多かったんです。アオダイショウで、その頃ザリガニ採りが大好きだったんですが、たくさんいる場所には、蛇もたくさんいるんですよ (笑)。ザリガニは友達と大きさ比べをしました。そんなわけで、毎日ザリガニを採ったり、ブラックバスを釣ったりして遊んでいたんです。でも、サッカーをやってる連中は、毎日練習していて、それを見たら“ああいうのも楽しそうだなぁ…”と。それで、東豊田スポーツ少年団に自分で申し込みました」

サッカー王国静岡で開花した才能
少年時代、サッカー王国静岡でその才能を開花させた

少年時代、サッカー王国静岡でその才能を開花させた

 サッカーは鈴木さんを虜にし、エネルギーのほぼすべてが注ぎ込まれるようになっていった。
「楽しかったですねぇ。楽しくて仕方がなかった。サッカー漬けで、休みなんてないです。土曜日は学校が半日で午後は練習で、日曜日は試合です。実はそれまで、町内のソフトボールもやってました。身体も大きくて、足も速かったんですよ。小学4年の100m走で静岡市の準優勝…つまり早熟な子どもでした。だから打てば飛ぶし、走れるから守ることもできるし…。でも、自分の順番が待ちきれないんです。8人待たないと(次の打順が)回ってこないんですから。そうすると力んじゃって、打ち損じたりするんですが、また8人待たないとならない(笑)。もうストレスが溜まっちゃって、溜まっちゃって…。守ってたって、球なんて来るかどうかわからないじゃないですか…飽きちゃうんですよ。
 サッカーはそうじゃないですもんね。自由じゃないですか。(ボールを)自分で持っていたければ持っていればいいし、パスしたければパスすればいい。やっぱり身体が大きかったので、キックも飛ぶし、シュートも強いわけです。小学校4年なのに6年の試合に出してもらったりとか…」
 でも、ちょっと辛いこともあったようで…。
「監督は学校の先生でしたけど、かなり昔堅気な教師でね…わりとすぐに怒声と手が出るタイプの先生だったんです。サッカーの思い出でイヤなことと言えば、それくらいかなぁ。試合中でもベンチに呼びつけられて“バコーンッ!” (笑)。でもその監督が来てから強くなったんです。怒鳴られるくらいなら相手に勝っちゃったほうがいいと感じていたのかもしれません(笑)。4年生で静岡市の2位、5年生で1位と2位でした。けれど、清水市は全然違うんですよ。歯が立たない。僕らの世代だと、藤田俊哉とか相馬直樹がいたんですが、清水には行きたくなかったです。負けると怒鳴られるから(笑)」

日本代表クラスに知らされた壁

 サッカー王国静岡県で、その才能を開かせていった鈴木さんだが、プロ選手を夢見た時期もあるという。
「サッカー選手になりたいな…と思ったこともありましたよ。少しは自信もありましたしね。でも、中学2年で県の選抜の合宿がありまして、そこで“ダメだな”と思いました。ひとつ下にあの名波浩がいたんですよ。藤枝の選手で、足もそんなに速くない…ドリブルだってそうでもない…持久力も…(笑)。でも、ものすごく上手いんです。相手の逆をとったり。いつでも、周りをしっかりと見てるんですよね。あまりの違いに“どんな練習してきたんだよ?”って聞いてみたんです。そうしたら、“小さい頃から周囲を見ることしかしてこなかった…”と。これは違うなぁ…と思いました。 
 また、中学の静岡選抜チームにいたことがあったんですが、ある時、山梨の高校選抜チームと試合をしたんですね。私は二軍でしたが、一軍がその高校生たちに勝っちゃった。これはかなわないと思いました」
 しかし高校でもサッカーを続け、県のベスト8クラス。その後、明治大学商学部に進み、やはりサッカー部に身を置いた。
「今の大学の選手にはプロみたいなのがいますが、Jリーグもまだない時代で、(大学の先は)実業団に入るくらいです。で、2年の時に寮が火事で燃えちゃって、それを期にサッカー部をやめたんです。一人暮らしを始め、バイトしてクルマを買って…パチンコと麻雀(笑)。でも、その頃はイヤな思い出ですね。だって、高校の時の仲間たちは、日体大とか順天堂のサッカー部に進んでやってるわけですよ。それに対して、ヒマを持て余して遊んでいる自分がね…」

コールマンへのきっかけは大晦日のサーフィン
家族でキャンプに出かけることも多いという。ご自身も現役のサーファーだ

家族でキャンプに出かけることも多いという。ご自身も現役のサーファーだ

 やがて、卒業。彼が選んだのは食品業界で、缶詰やレトルト食品では全国的な企業に身を置くことになった。
「将来のことなんて考えたことなかったんですよ。でも、漠然と金融系に行きたいなぁ…なんて思い始めていました。親の影響かもしれませんね。“お給料いいのよ…”なんて言われて。(就活は)やはり金融関係を回ったんですが、優も少ないし、学校もあんまり行ってなかったし…うまくいきませんでした。それで、地元に戻ろうと。で、たまたま食品会社が拾ってくれたんです」
 そこで、鈴木さんは、相手の望みに合わせて企画し提案する営業業務の楽しさを知ったという。
「食材事業部に配属されたんです。業務用でレストランとかコンビニエンスストアが相手でした。お弁当とかサンドイッチで(自社製品を)使ってもらえるようにプレゼンするんです。たとえば、新しいお弁当にツナが入る予定があるとします。それに対して各社が提案するわけです。ウチのは歩留まりがいい…とか、油分がどうだ…とか、ご希望に合わせて大きなパックも作れますよ…とか。寿司のチェーンに、ツナマヨネーズを売り込んだりもしました。営業の仕事って面白いと思いましたね」
 そして3年目。大きな転機を迎えることになる。
「入社2年目の時、一つ上の先輩がコールマンに転職していったんですよ。大晦日にその人とサーフィンしてたんですが、“今度転職するんだ…まだ募集してるから、お前もどうだ?”って言ってくれて…。面白そうだなと思いました。やっぱり遊びの道具ですし、蛍光灯のランタンなど、コールマン製品を持っていたということもありますしね。でも、まだ2年しかやってないので、もう1年頑張ってみようと思いました」
 当時、コールマンへ抱いていたイメージはどんなものだったのだろうか。
「静岡ではそんなに扱っている店がなくて、自分では寝袋と蛍光灯ランタンを持ってたんですが、高かったなぁ (笑)。高校の頃、仲間の家にガソリンランタンがあって、BBQの時に持ってきたんですよ。あの明るさにびっくりしたのも覚えています」
 そして1年後、満を持してコールマンのドアを叩く。1997年の2月だった。
「外資系ですが、入ってみると日本企業だなぁ…と。勤続年数の長い社員が多いし…。ドライで完全な成果主義かと思ってたんですが、仲間意識も強くて、仕事がやりやすい環境ですよね。普通の会社だと、土日くらい同じ職場の人間とは会いたくない…となるじゃないですか。でも、ここでは土日も一緒に遊ぶっていうのが多いんです。今日もね、逗子のほうに釣りに行こうよ…って話してたんですけど、すぐに“あの人にも声かけよう!”って(笑)」
 入社以来営業一筋。思い出に残る出来事を披露してくれた。
「入社した頃ですが、すごくうれしいことがあって。それまであまり買っていただけなかったところに、たくさん入れてもらえたんです。先輩からも“俺が作った数字は絶対越えられないぞ”って言われてましたし、ものすごく怖い部長さんがいましてね。パンチパーマでまったく笑わない人で、商談中に机を蹴り上げられて、お茶がこぼれたこともありました。でも、新入社員で時間もあったので、度々お邪魔していたんです。そうしたら、思いがけずたくさん入れていただけて… “よかったな”とニッコリしてくれたんですよ。あぁ、この人って笑うんだ…と(笑)」

人を喜ばせ、幸せにする仕事への誇り

 コールマンという人気ブランドを扱っていて日々感じるのはユーザーとの絆だという。
「お客様が楽しいモノ、商品を扱ってるわけで…それはやりがいですよね。たとえば、店頭に販売応援に行くと、小さなお子さんを連れたお客様が来て、いろいろ話を交わすわけですが、その方たちが楽しむ光景を想像したりするんです。人を幸せにする仕事っていいですよね」
 ブランドへの想いも深い。常にユ-ザーの傍らにいたいと微笑んだ。
「お客様に強く支持していただけているという実感がありますね。アウトドアレジャー、キャンプを始める時に、いちばん先に手に取ってもらえる存在でありたい。そのためには、いろいろな所で触れることができる…買えるようでなければなりません。だから、ホームセンターとかディスカウンターでも扱っていただけるようにしています。いつも寄り添うブランドで、ハイエンドに偏ることもなく、その逆でもない……そんなスタンスでありたいと思います」
 とはいえ、営業の最前線にいて悔しい想いをすることもあるという。
「最終的なコンシューマー、お客様が求めている商品をお届けできないときですね。そりゃ、おもしろくない。そういうものをウチが持っていなかったり、開発できなかったり…です。あとは、そういったお客様との間に入って下さっている販売店さんや中間流通の業者さんとビジネスのフレームが合わないときも…ですね」
 鈴木さんはお子さんとキャンプに出かけることも多いというが、そこにはひとつのテーマがある。
「僕はね…時短したいんですよ。設営とか準備に手間をかけたくない…他の遊びを主軸にキャンプをしたいんです。清流のキャンプ場に行くことが多いんですが、子どもも魚を獲ったりと川遊びを楽しみにしていて、着いたらすぐに水辺に行きたいんですよ。でも、“ちょっと待ってろ…設営しちゃうから”って待たせるのはどうかな…と(笑)」
 最後に何かひと言…とリクエストすると、しばらく腕を組んで、彼らしいひと言がこぼれた。
「そうですねぇ…まずは野外に出かけて楽しんでいただきたいんです。道具なんてどこのでもいい…(笑)。レンタルだっていい。そう思います。で、いろんな不便さを楽しんじゃってほしいですね。それからですよ。“ああ、やっぱりあれが必要だなぁ”とか“このランタンじゃ少し暗いな”とか“次はタープを持ってきたい”って感じることがあると思うんですよね。そういう時に、コールマンを思い出してくれたらうれしいなぁ」
 このインタビューの間、鈴木さんは何度も同じような言葉を口にした。「あんまり深く考えないんです。ポリシーもないし…」。しかし、それは照れ隠しのような気がする。目まぐるしく変化するアウトドアシーンにおいて、スピーディーでフレキシブルな営業をするには、何かに縛られず、軽やかでいなければならない。そんな姿勢を大切にしているのではないか。でも、そんなことを仰々しく口にするのは粋じゃない…何度も繰り返した照れ笑いには、そんな想いが秘められているような気がする。
 2時間のインタビューを終えて心に残ったのは、鈴木さんのそんなスマートで粋な人柄だった。
 皆さんもイベントなどで彼を見かけたら話しかけてみては?その人柄にノックアウトされるはず…です。

鈴木さんのお気に入りは「ロッキングチェア」。入社してはじめてのヒット商品で、在庫がないとお客に伝え続けたことが思い出に残っているという

鈴木さんのお気に入りは「ロッキングチェア」。入社してはじめてのヒット商品で、在庫がないとお客に伝え続けたことが思い出に残っているという