コールマンを創る人々 第30回 アジアパシフィックリージョン セールスグループ マネージャー 東郷みぎわ 2017/02/15

東郷みぎわさん

明るくハキハキした応対が印象的な東郷さん。型破りなエピソードの数々に引き込まれてしまう

人生を導いた英語との出会い

 コールマンがアメリカで生まれたブランドであることはご存じのとおり…。しかし、日本で支える人々は、千差万別だ。帰国子女もいれば、英語はちょっと苦手…という方もいる。ひょっとしたら、この幅広さがさまざまな層へ商品を提案し、販売する上で武器なのでは?なんて思ってしまうほど、実にいろいろなバックボーンとキャリアが並んでいる。
 さて、今回の東郷みぎわさんは、高校から大学、そして社会人と13年間をアメリカで過ごした、ある意味私達がコールマンに抱くイメージそのもののような方。すらっとした長身にハキハキした受け応え…よくしゃべり、よく笑う明るい女性だ。
 しかし、生まれは純日本な東京の下町…あの「男はつらいよ」の柴又帝釈天に至近の葛飾区金町だ。その後、父親の転勤で千葉県を経て、三重県の四日市へ移ったが、そこで子ども心に残っているのは“言葉”だったという。
「関西弁…初めて聞いた西の言葉が印象に残りましたね。すごく自分に合ってるな…と。両親が兵庫だからかもしれないんですが、それまでは標準語しか知らなかったのにとても心地よかったんです」
 そして、この言語への感性が、後々人生を支えていくことになるのである。
「兄がいましたので、チャンバラとか空手とかやらされましたね。とてもパワーあふれる人で、空手の受け身だけを延々やらされるんですよ。柔道もね(笑)。昔は、歳上の言うことって絶対じゃないですか?こっちは奴隷ですよ(笑)。田んぼに行ってザリガニやドジョウ獲ってこい!なんて命令されちゃうし。
 かと思えば、突然、近くの空き家に行って、秘密基地を作ろう!とか言い出すんです。穴を掘ったり、いろんな物を持ち込むんですが、当然、大人に見つかってすごく叱られる。兄が中学に入るまで、そんな男の子みたいな遊びばかりやらされてましたよね。おままごとやお人形なんて無縁で…」
 やがて中学校に進学した東郷さんに、人生に大きく影響を与える出会いが訪れる。
「住んでいた市川市はフロリダ州のガーデナー市と姉妹都市になってまして、そこから先生が来ていたんです。初めて会う外人でしたね。その先生が日本語をまったく話せなくて、コミュニケーションが成り立たないんです。(私が)ペラペラになれば、いろんなことを交わせたり、教えてもらえるのになぁ…と思いました。それで英語にすごく興味を持つようになったんです。
 で、中学の1年か2年だったと思うんですけど、友達と一緒に留学フェアみたいなイベントに行って、高校になったら留学したいと思うようになりました。だから、高校に進んだのも、留学するためのステップというか手段のような感じでしたね。英語も猛烈に勉強するようになりましたし」

大学時代には、備え付けのグリルやテーブル&ベンチを利用して、BBQやピクニックを楽しんだという

大学時代には、備え付けのグリルやテーブル&ベンチを利用して、BBQやピクニックを楽しんだという

どこに行くにも寝袋ひとつ抱えて…

 そして、高校3年で念願のアメリカ留学。東郷さんの人生は大きく舵を切ることになった。
「その頃には、最終目的が単なる留学ではなくて、大学進学になっていたんですね。でも、いきなり大学に行くのは大変。その前に高校で1年過ごしてから進んだほうがいいと…。(日本で)英語を勉強したとはいっても、全然通じなかったですね。留学最初の1週間なんてひどい頭痛に悩まされました。(言葉が)分からないから、ものすごく集中して授業を聞くわけです。すると肩も首もガッチガチになっちゃって(笑)」
 アメリカでの1年間を終え、卒業のために一時帰国…そして3ヵ月後、大学進学を叶えた。
「高校はコロラド州のデンバーの近くでした。とってもいい所で、アウトドアを経験することができました。コロラドリバーが始まる、まさにグランドキャニオンの入り口でもあります。スキー場も、アスペンとかね。ロッキー山脈だってあるし。大学はアイオワ州です。向こうの学生は、誰でも寝袋をひとつ持ってますから(笑)。春休みでもなんでも、どこかに行こうと思ったら寝袋を持っていくんですよ。ホテルが取れなくたって、キャンプやっちゃおう!ってことになるんです。友達の家で呑み会して、そのまま泊まっちゃおうぜ!なんて時も、寝袋が出てくる(笑)。
 最初はジャーナリストになりたかったので、専攻はジャーナリズムでした。でも、そのうち無理だなって、英語でジャーナリズムなんてできるか!って思っちゃったんですよ」
 十代の東郷さんはさまざまな場面で、言葉はもちろん、文化の違いを痛感したという。
「食事だって度肝を抜かれましたね。ホストファミリーの家に到着した日の夕食…みんなでテーブル囲んで、ステーキとかいろいろ出て、最後はアップルパイで…なんて想像してたのに、お父さんが裏庭に行って炭火を熾して、ハンバーガー焼くだけ。レタスとかちぎって置いてあって、ケチャップがあって、ポテトチップスもそのへんにあって…紙皿渡されて(笑)。“これだけ?”って。イージー過ぎるって驚きました。
 それに、アメリカはとにかく自由ですよね。高校生の頃からみんな化粧もすごいし、自動車であっちこっち行っちゃうし。ランチだって、マクドナルドとか食べに行っちゃうし」
 しかし、彼女には、アメリカのオープンな人間関係がとても合っていた。その大らかな性格が大陸の生活によってさらに花開いていったのである。
「日本にいる頃から、言いにくいことを言っちゃうタイプでしたからね。アメリカに行ってそんな性格に拍車がかかっちゃいました。日本人ってシャッターを閉じてて、少しずつこじ開けていくみたいな…でも、私は最初からシャッターを全部オープンみたいな感じですから(笑)。だから、アメリカに行って“私の居場所はここだ!”って思いましたね。居心地よかった…」
 やがて就職したのは、ウィスコンシン州に進出したばかりの日系企業だった。
「家庭用品やペット、ガーデニング用品の生産管理や原価計算から始まって、プロダクトマネージャーに移り、商品開発をやっていました。エンジニアの開発チームの力が強い会社だったので、マーケットの情報はあまり吸い上げられていないと…。そこで、私が一緒になってそれを反映させていくことになったんです。その経験がコールマンで活きました」
 社会人となった東郷さんは、業務を通じて、日本人の特性を自覚するようになっていったという。
「日本人はとにかくマジメですよ。マジメ過ぎ(笑)。あとは謙虚さですね。若い頃は“もっとはっきり言わなきゃだめだよ!アピールしなきゃ!”なんて思ったこともあったんですけど、今になって、“これは日本人の美だな”と。自分の立場をわきまえるということですね。無責任に大風呂敷を広げないとかね。そういう部分は、向こうでも見てる人はちゃんと見てくれてますよ」

帰国…そしてコールマンの一員に

 やがて、7年のメーカー勤務を経て帰国。飛び込んだのは大学院だった。
「日本に13年いなかったので、浦島太郎だったんです。それで、いきなり社会復帰は難しいだろう…と思い、ウオーミングアップのつもりで早稲田のビジネススクールに入りました」
 そんな東郷さんが母国でのキャリアをスタートさせたのがコールマンジャパン。前職での経験をかわれ、プロダクトマネージャーとして採用。モノ創りの最前線に立つことになったが、アメリカのギャップに戸惑うことも多かったという。
「入社して3日目に、松戸のプロダクトセンターに行くことになったんですよ。いきなり、413(ツーバーナー)を渡されて“解体してみて…”って言われまして(笑)。ランタンも…。何が何だか分からないですよね。ポンピングだって知らないし。アメリカでホストファミリーと出かける時も、友達とキャンプする時も使わないですもん。焚き木とか炭で(笑)。
 入社後、キャンプにも連れて行ってもらったんですが、びっくりしましたよ。私がやってたのと全然違うんです。“日本人ってキャンプでも真面目だなぁ…”って(笑)。向こうでは、クーラーに氷とハムとチーズとパンだけ入れて、途中でフライドチキンのでっかいバケット買って、それで3日間(笑)。コロラドを1週間かけてキャンプで回った時もそんな感じでした。日本人は料理も一生懸命いろいろ作るし、道具もすべて真面目できちんとしてる」
 そして担当したのは燃焼器部門。ガスカートリッジを使う商品で彼女の才能が開花した。

ロードトリップシリーズ

東郷さんの心に残る逸品…積極的なプロモーションも功を奏したロードトリップシリーズ(写真は初代モデル)

「アメリカやヨーロッパで作られた商品を、日本の環境やガス検などの法規に合わせてアジャストする仕事ですね。日米ではプロパンとブタンなど、ガス自体も違いますから、ほとんどのガス関連商品が対象です。経験のない分野なので、最初はひたすら勉強の毎日でした。さまざまな条件を想定してエンジニアに技術的な対策を考えてもらうんですが……もう物理の世界ですよ。“私、文系だぞっ!”って思いながら仕事してました(笑)」
 やがて、オリジナル商品の開発へ…。自身が初めて企画から立ち上げたのが二つ折りのツーバーナーだった。
「フォールディングツーバーナーは、初の日本独自の製品。金型も一から作らなきゃいけないし、二つ折りのボディーとしてガス検も通さなきゃならないし、強度とかいろいろ考えないとならないし…。課題がたくさんあったんですが、それを任せてもらえたのは大きかったですね。完成までに、2、3年かかったかなぁ…」
 その経験は大ヒットとなったロードトリップへと活かされていく。
「ロードトリップはね、アメリカでよく売れていたんですよ。あれ、日本に持ってきたいよねぇ…って話になったんですが、やはりガスなどテクニカルな課題があって。向こうではプロパンを使ってるんですよね。そうしたら、日本の事情をよく知ってるヨーロッパのエンジニアが“缶をふたつ繋げたらどう?”って(笑)」
 技術的な課題が克服したものの、炭が主体のBBQマーケットで、ガスを使うグリルを認知させるにはプロモーションが必要だった。
「日本ってBBQに関しては、どこか炭信仰みたいなのがあるじゃないですか。でも、ガスのほうが着火や火力調節は楽だし、後片付けも簡単でしょ。絶対にイケするはずだと思ったんです。とはいえ、これを広めるには商品力だけではだめで、ふたがあってオーブン的な機能も持っているので、これまでのグリルとは違う料理ができることをアピールするべきだと考えました。それで、フードコーディネーターのみなくちなほこさんとレシピ本を作ったんです」
 そういった努力が功を奏し、予想を大きく上回るヒット商品に…。「かわいい我が子のような感じです」と微笑む。
 現在は、モノ創りから離れ、セールスグループのマネージャーとして活躍する東郷さん。そのステージはアジア諸国へ移った。
「現在は、海外でコールマンを広げる仕事です。特にアジアの新興国ですね。最初は中国だったんですが、今はベトナム、インドネシア、台湾とか…。日本と違って、コールマンの認知度が高くないので、代理店を通じてメディアへの働きかけもします。台湾は2,3年前からようやくキャンプブームが来て、盛り上がるようになりました」
 …とはいえ、まったく異なる業務に当初は戸惑ったとも言う。

キャンプ場視察で訪れたインドネシアの島。

キャンプ場視察で訪れたインドネシアの島。日本とはだいぶ違って写真のような場所がただあるだけ…ということも多い

キャンプ場視察で訪れたインドネシアの島。日本とはだいぶ違って写真のような場所がただあるだけ…ということも多い

「モノ創りが恋しかったですね。でも、新しい仕事でプロマネでの経験が活きることが多かったんです。それぞれの国に商品を導入するときに、やっぱりいろいろな規制とか課題がありますが、それを解決する方法も知ってるし、できる、できないの判断も速い。私は工場とかエンジニアもみんな知ってますからね(笑)」。そう語る表情はとても明るい。新たな市場開拓に情熱を注ぐ東郷さんの夢は果てしないのである。
「市場開拓がまだまだですからね。もっともっと広げたいし、成長させたい。やっぱり、思うように行かないことも多いんですよ。三歩進んで二歩下がる……いや、三歩進んで五歩下がることも珍しくないんですもん(笑)。そういう中で、伸びたときはうれしいし…」
 最後にちょっと意地悪な質問をお願いした。―もし、プロダクトマネージャーに戻ったらどんなことをやってみたいですか?―
「そうですね。日本だけではなくもっともっと広い視野で海外でも喜ばれるような、売れるような商品開発をしてみたいですね」
 席を立つ時、“こんなお話でよかったですか?”と照れくさそうに笑った東郷さん。しかし、その引き締まった口許には、今手がけている巨大マーケットへの意気込みと覚悟が漂っていた。