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コールマンスタイル コールマンを創る人々

第6回 マーケティング本部イベントマネージャー 山村 聡(やまむら・さとし)


Mr.コールマンと呼ばれる男
ひと呼んで「Mr.コールマン」。今回登場の山村聡さんは、「コールマンを創る人々」の中で、ユーザーに最も知られている存在かもしれない。彼の肩書はイベントマネージャー。さまざまなイベントやキャンプ場で、あの人懐こい笑顔と接した方も多いはずである。

正直に言うと、今回のインタビューは少し気が楽だった。というのは、すでに面識があり、飲食も共にしたことのある仲だからだ。仕事の内容もコールマンブランドへの想いも少しは分かっているつもりだった。

しかし、約2時間のインタビューを終えてみると、それはまったくのうわべだったことを痛感する。Mr.コールマンの想いはずっと深く、もっともっと熱かったからである。

この日、山村さんは懐かしいカーキ色のランタンケースを抱えて現れた。ユーズドデニムのような風合いのざっくりとしたカーディンをさりげなく着こなした姿は、いつものようにアメリカンな薫りに満ちている。

山村さんは、コールマンジャパンで最も社歴が長い。つまり最古参。それはとりもなおさず、この国におけるコールマンの歴史と足跡をもっともよく知る人物ということになる。彼がMr.コールマンと呼ばれる理由は、スポークスマンとして活動しているからだけではないのである。

そんな彼は1957年大阪生まれ。生粋の浪速っ子だ。
「僕はね、ひとりっ子で小さい頃はいじめられっ子だったんですよ。泣き虫で、絵を描いたりプラモデルを作るのが好きでした」。

そんなインドアな姿を見るに見かねた父親が、山村少年をカブスカウトに入団させる。
「父は私を鍛えるためにカブスカウトに入れたんですが、自分自身もボーイスカウトの指導員の資格を取ったんですね。言わば二人三脚。これが私とアウトドアの出会いでした。 小学校3年から5年までカブスカウト漬けの生活を送り、アウトドア好きになっていったんですよ」。

しかし、カブスカウトの何が絵や模型作りが好きだった少年の心をつかんだのだろうか。
「火を熾したり、小刀で木を削って何かを作ったりというのがとても楽しかったですね。飯盒でご飯を炊くのも楽しかった。それに、ひとりっ子でしたから友人や先輩など人の輪が広がっていくのも新鮮でした」。



現在のコールマンジャパンで最古参となる山村聡さん。 現在のコールマンジャパンで最古参となる山村聡さん。その歩みや商品の魅力を語らせたら右に出る者はいない。
 
 
しかし、そのままボーイスカウトへと進み、アウトドアの楽しみを成就したかった山村さんに大きな転機が訪れる。母親が彼を“お受験”に向かわせたのである。その結果、彼は同志社へ進学し、中学、高校とアウトドアとは距離を置くことになった。

高校時代はハンドボールの選手。並行して、当時流行のアイビーファッションに傾倒していく。そこにはアメリカ志向の父の影響が大きかったという。
「父の昔の写真を見るとアロハシャツにレイバンのサングラス。ラッキーストライクなんですよ。プレスリーそのものなんですよね。だから、母に言わせれば私がアイビーとか好きなのは父の遺伝子なんだろうと。父は、終戦後、進駐軍の階級章で偉そうな米兵を見つけては、家から日本酒を持ち出して、レイバンなどと交換してもらっていたようです。彼らの琵琶湖での鴨撃ちに同行した写真も残っているくらいですから、仲よくしていたんでしょうね」。

「小学校の時に演劇みたいなのをやらされたんですが、子供の頃からこんな顔ですから、もらった役はインディアン(笑)。衣装はおふくろが古いトレーナーをカットして刺繍してくれました。その写真も残ってるんですが、胸に見えるのはハーバード大学のロゴマークでした…」。 山村さんのアメリカ文化への憧憬はこんな環境で醸成されていったのである。

多くの五十代がそうであるように、高校時代にはメンズクラブを熟読し、ファッションに目覚めていった。
「ブルックスブラザースとかアメリカのブランドが好きになって、高校1年で初めてコンバースのハイカットを買いました。1972年頃で6800円。リーガルのローファーが4800円でしたから、“お前は父さんの革靴より高い運動靴履いてるんか?”って皮肉を言われました。でも、どうしてもそれが欲しかった。小学校2年の時に東京オリンピックでアメリカのバスケットボールチームが履いてたからです」。

やがて時代はアメリカンカジュアル全盛へと向かっていく。
「1975年に同志社大学に入学するんですけど、同じ頃、発売されたメイドインUSAカタログって本を見て、アイビーからアメカジになっていったんです。リーバイス、レッドウイング買って。アルバイトで金貯めて買ったCAMP7のダウンベストを着て歩いてたら、じいちゃんが“聡は救命具着て街歩いとる…”とボヤいていました(笑)」。

彼は、高度経済成長期におびただしく流入してきたアメリカ文化を全身で吸収していったのである。

29年前、山村さんはこの635をひとつ抱えて営業活動をスタートさせた。どこに出かけても、プレゼンテーションはこの相棒に着火することから始まったという 29年前、山村さんはこの635をひとつ抱えて営業活動をスタートさせた。


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