石垣裕也

マーケティング本部 コミュニケーショングループ グループマネージャー

石垣裕也
アウトドアの申し子のような石垣裕也さん。キャンプ場からカフェまで、その夢は果てしない。

「今日だって、朝5時に起きて、息子とクワガタを採りに行ってから会社に来ました。3匹採れたんですよ」

石垣さんはそう言って嬉しそうに目を細めた。メディア対応など、コールマンの対外的なイメージ戦略の中枢を担う彼は、その素顔も根っからのアウトドアマンだった。

故郷の仙台はアウトドア天国だった

石垣さんは宮城県仙台市生まれ。高校卒業まで過ごしたこの杜の都を心から愛している。

「仙台は海も山も川も近くて自然は豊かですね。親父、おふくろ両家とも親戚がみんな釣り好きで、アウトドア派ばかりなんです。ですから、小さな頃から海や川に連れて行ってもらっていたんですね。小学校と中学校で野球もやっていましたが、釣り半分野球半分でした。中学校でも部活の合間に友だちと自転車で釣りに行っていたほどです」

彼の釣り好きは折り紙付きだ。釣りの話が始まると表情が一変する。

「親父の親せきは川釣り寄りなんですよ。鮎とかうなぎとかね。おふくろ側は海がメインで、叔父が塩釜に船を持っていて、週末になるとその船で釣りをしたり、無人島で潜ったり、魚を突いたりしていました。中学生の頃、バス釣りが流行っていて、初めて(大人の同行なしで)友達と行った時、自分で買ったルアーで40㎝くらいの大きなバスが釣れたんです。あの感動は今でも忘れられないですね。叔父と大きなカレイを釣って、食べたこともいい思い出です」

石垣さんの親族は、釣りだけではなく、さまざまなアウトドアを楽しんでいたという。そんな恵まれた環境で、彼は自然の遊びに魅了されていった。

「親父や叔父とキャンプやBBQをしましたし、兄弟とか従弟と焚火をしたのも忘れられないですね。おふくろや兄弟と家族キャンプも楽しんでいました。釜房ダムに“みちのく杜の湖畔公園”っていうのがあって、そこで幼稚園の頃がキャンプデビューです。裸足になって水の中に入ってみたんですが、無風でモヤがかかっていて、湖面は鏡のようになっていて幻想的な雰囲気でした。すごく遠浅だったので進んでいったら、なんだか冒険をしているようでとても興奮したのを覚えています」

当時、父親の実家がコールマンのカヌー、RAM-Xを2艇所有しており、彼もその楽しさを味わった。そして、この経験が後年コールマンへの入社へとつながっていくことになる。

「ゲームとか電子機器にはまったく興味が湧かなかったんですよね。誕生日のプレゼントに(ゲームが)ほしい!とか、そういうのは一切なくて、竿とかルアーがほしい…って (笑)」

やがて高校時代、石垣さんはアウトドアの新たな扉を開くことになる。

「高校で野球をやる気はまったくなかったんです。ダルビッシュが出た東北高校っていう強豪校で、自分の実力も分かっていましたしね。で、地元の友達とサーフィンを始めました。海釣りでサーファーを見かけたのがきっかけでした。学校に行く前にサーフィンやって、授業が終わったらまた行って…というサーフィン漬けの毎日です。友達と一緒にやっているのが楽しかったですね。波を待ちながらしゃべって海に浮いている感じがいいんですよ。怪我もしました。10針くらい縫ったこともあるし、台風の時には死にそうになったことも…」

女の子にもモテたでしょう?と冷やかすと、真顔になった。

家族や親せきもみんなアウトドア好きという恵まれた環境で、キャンプデビューも4歳だった
家族や親せきもみんなアウトドア好きという恵まれた環境で、キャンプデビューも4歳だった

「でも、サーフィンがむちゃくちゃ楽しかったんですよ。(彼女は土日に)一緒に遊びたいのに、いい波が出るとデートを平気でドタキャンするし……映画の約束をしていても“ゴメン!”って。最悪ですよね(笑)」

高校を卒業して向かったのはアメリカ西海岸。マリナーズの本拠地、シアトルだった。

「中学校の時にジョナサンという日米のハーフの友達がいて、お父さんの実家がシアトルだったんですね。中学2年生で彼は帰国したんですが、高校の時に仙台に遊びに来たんです。その時の彼がめちゃくちゃカッコよかったんですよ。アメリカでの写真を見せてもらったんですが、そういう世界をまったく知らなかったので、すべてが新鮮で魅力的でした。次にやること決めた!って感じで本気で海外に行くことを決意しました」

その友人の母親が留学のサポート事業に携わっていたこともあって、彼はシアトルの大学へ入学を果たすことになる。

「語学学校に7ヵ月くらい通って英語を習得し、大学に編入できました。ビジネス全般、Eコマースも広告もトラベルも学びましたね。また、シアトルも仙台に似ていて都会と自然との距離が近くまさにアウトドア天国!僕にとっては最高の場所でした。土日や平日の授業が終わってヒマさえあれば近くに点在するレイクに良く釣りに行きましたね。パーチとバス、レイクトラウトです。あとは、オリンピック国立公園で仲間とキャンプをしたのもいい思い出です」

奥様との出会いもシアトル時代だったとか。

「コミュニティのようなクラブだったんですけど、大学でも野球やっていて…たまたま僕がピッチャーをやっていた試合で、別の大学の応援に来た彼女と知り合ったんです。彼女は学校卒業後シアトルマリナーズで唯一の日本人スタッフとして働いていました」

帰国後、東京で就職したのはスポーツジムの運営会社。外国人の顧客も多く、語学が活かせると判断したのだが、約半年で退社、留学をサポートするカウンセリングの職に就く。その日々は充実していたが、会社の倒産によって道を断たれることになった。

「一度リセットしようと仙台に戻ったんです。そこで釣りを楽しんだりして、やっぱり自然はいいなぁ…と。で、久しぶりに祖父の家に行ったら、コールマンのカヌーRAM-Xやランタンがあって、“これだ!コールマンだ!”と。それで、ホームページを見たら、たまたま募集していて…」

サーフィンに明け暮れた高校時代。ヒマさえあれば海に出た
サーフィンに明け暮れた高校時代。ヒマさえあれば海に出た

コールマンの物語を作りたい…

こうして、2008年12月にコールマンジャパン入社。今年10年目を迎えるが、ずっとPR部門に身を置いてきた。

「メインは、雑誌やテレビへの応対メディアの窓口ですね。でも、イベントの企画運営もやりますし、フェイスブックやツイッター、インスタグラムのようなデジタルメディアを使ったコミュニケーションも担当します。そして、ブランドサイトのコンテンツから、現場ではADもやるし、スタイリストもやるし、コーディネーターもやるし、構成作家のようなことも(笑)。何をやっているかひと言で言いづらいのですが、僕の中では物語を作る仕事、コールマンをこう見せたい…こう見えてほしい…という想いをいろいろな方法で実現していく 仕事だと考えています。つまり、“コールマンっていいね!”って感じてもらえる瞬間をつくることです」

入社以来、1度も“苦労”を感じたことがないと笑う石垣さん。そのポジティブな姿勢が多くのメディアから信頼されてきた。

「たとえば、テレビ撮影だと、演者さんがいて、番組スタッフがいて、僕のようにコーディネートなどの外部スタッフがいますよね。その中で、単に道具を貸し出して使い方を伝えたり、セッティングするだけではなく、演者さんを楽しませるのも仕事だと信じているんです。演者さんってロケ中は仕事モードなわけですが、撮影が終わると切り替わって、はい、終わり!のような感じになることもありますよね。でも、僕の場合、撮影が終わった後もそうならずに、プライベートでもいろいろ質問してくれたり、これをきっかけに始めたい…と言ってくださったりすることが多いんです。仕事であっても、本当に楽しんでいただけたんだなぁ…と。そういうのが本当にうれしいですね」

苦労と感じたことはないと語る石垣さんだが、やり応えがあって記憶に残った仕事はあるという。

「2014年にメディア向けのセミナーをやったんですよ。キャンプの魅力ってなんだろう…っていつも考えているんですけど、ひとつは、やはり家族というキーワードがあって、お父さん、お母さん、お子さんで楽しむアクティビティのひとつとしてキャンプを選んでいただきたいと願っているわけです。その経験や思い出は人生に大きく影響してくると信じているんですが、何を伝えれば、そういう方々に興味を持ってもらえるのかな…って考えました。子どもの協調性やリーダーシップが育まれたり、危険回避能力が身についたり…成長や教育にいいよねっていうイメージはあったし、コールマンも“自然が子どもを成長させる”というキャッチコピーで表現してきたんですが、それをアカデミックに伝えるのってすごく難しいじゃないですか。だったら、教育系のメディアや有識者に間に入ってもらって、きちんとデータを伴ってプレゼンテーションをすればいいんじゃないかと…。でも、それはこれまでの僕の仕事とはちょっと毛色が違うんですよね。有識者とお話をして、調査をしてデータをまとめて、メディアの方々にプレゼンテーションするというのはやったことがなくて…。

この時は、教育評論家の尾木先生にご協力いただいたんですが、脳科学者の方や文科省にもデータをいただいたり…一般のユーザーさんにも意識調査したりして、プレゼンテーションができたんです。そうしたら、やはり、教育系の雑誌や新聞でたくさん取り上げてもらえて…」

子供の頃から大好きだった釣り。これは東京湾の大型スズキ
子供の頃から大好きだった釣り。これは東京湾の大型スズキ

普段の生活にも寄り添うコールマンでありたい

彼は、コールマンというブランドがもっと日常的で身近な存在になってほしいと願っている。

「アメリカではコールマンの認知度ってめちゃくちゃ高いんですよ。みんなが知っていて、そこにあって当たり前…アウトドアの特別なブランドではなくて大衆化しているんですが、僕はそれでいいと思っています。たとえば、キャンプもアウトドアもやらない…でも、お買い物ドライブは好きだ…っていうご夫婦にも、美味しいものを食べに出かけるのが好きなカップルにも身近で使っていただけるブランドでありたい、そういうシーンにコールマンがあることに感謝したいんです。そして、小さい頃の僕がそうだったように、楽しくて仕方のなかった外遊びの思い出にいつも寄り添ってくれていた道具達が、結果としてコールマンだったという、そういうブランドとの出会いがあってもいいんじゃないかって思っているんですよ」

これからの夢は?と尋ねると、そりゃたくさんありますよ…と悪戯っ子のように笑った。「これからもずっとマーケティングの仕事をしたいんですが、何か大きなことをしてみたいですね(笑)。今年も主催した身近にアウトドアやキャンプを体験していただける「コールマンアウトドアリゾートパーク」は大きな意義があったと思うんですけど、コールマン主催のフェスみたいなことを、とてつもなく広大なスペースでやってみたいんです。自社のキャンプ場もほしいなぁ。コールマンのレストランやカフェもやりたい。外装も内装もこだわって、夜にはジャズなどのライブもあったり…いいでしょ?アウトドアやキャンプをベースにしたエンターテイメントってたくさんできると思うんですよ」

アメリカが大好きと語る石垣さん。これはウイチタの本社でのワンカット
アメリカが大好きと語る石垣さん。これはウイチタの本社でのワンカット

現在、石垣さんは群馬県の自宅から片道2時間強をかけて通勤している。しかし、その暮らしは充実していて、父親業も楽しそうだ。

「群馬に住んで8年ですね。自然が残っていて、子どもを育てるにはいい環境ですよ。週末は子どもとのんびりするんです。息子がこれまた釣りが大好きで、幼稚園に入る前、おむつの頃から自然の中に連れ出していました。通勤に時間がかかるので平日も帰宅は深夜11時とか12時になる事もありますが、それからお風呂に入って寝て……5時には起こされてクワガタ採り。それで7時45分に家を出るわけです(笑)。カブトムシも3年前に息子が採ってきて、卵を採って育て始めたらかわいくて…僕もハマっちゃって、1mくらいのコンテナを3つ買って、飼育を始めました。そうしたら100匹くらいまで増えちゃったんで、近くの幼稚園にあげています。…で、今年からはクワガタを飼おう!と(笑)」

コールマン ジャパンのイメージ戦略を支える敏腕広報マンは、アウトドアを、そして日々の暮らしを心から楽しむひとりの父親でもあった。それを知った今、彼が次に手掛けるプロジェクトが楽しみでならない。カフェやレストランを期待するのは、ちょっと気が早いかもしれないけれど、石垣さんなら私達の度肝を抜くような…それでいて地に足のついた企画を披露してくれるだろう。

キャンプカレッジなどユーザー向けのイベントでも活躍する
キャンプカレッジなどユーザー向けのイベントでも活躍する
石垣さんのお気に入り、ステンレスファイヤープレイスⅢ。これを囲んで子ども達と楽しく過ごすのだろう
石垣さんのお気に入り、ステンレスファイヤープレイスⅢ。これを囲んで子ども達と楽しく過ごすのだろう
取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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