佐藤明
マーケティング本部 マネージャー

コールマンのイベントや展示会などに出かけたことのある方なら1度は目にしている優しい笑顔…。佐藤明さんはその温かな人柄で、多くのファンに愛されてきた。もちろん私もそんなひとり。取材やイベントでは、いつも細やかな気配りと人懐っこい笑顔に助けられている。
彼はクロスカントリースキーのチャンピオン
「この雰囲気なので南国生まれと思われることが多いんですが、新潟県上越市…雪国生まれなんですよ」と笑う彼は1973年生まれ。今年42歳になる。
「自然豊かな土地です。自転車で30分走れば海にも山にも行けました。豪雪地帯で3mくらい積もりまして、両側が雪の壁になった道を通学していました。金谷山という日本のスキー発祥の地のふもとに生まれたんです」
そんな恵まれた環境で、佐藤さんは生来の才能を開花させていく。
「冬場はクロカン(クロスカントリースキー)をやってました。リレー競技では優勝しましたし、新聞にも出たんです」。そんな抜群の運動神経が彼の人生をリードしてゆくのだが、普段の彼はどこにでもいるような小学生だった。
「夏はカブトムシやクワガタを採ったり、海や川でヘラブナや雷魚のルアーフィッシングを楽しんでました。自然って必ず答えをくれるんです。クワガタも魚もそうなんですけど、何時くらいに起きて、どこに行けば獲れそうか…って、いろいろ考えますよね。そうすると、思った通りに獲れたり、獲れなかったりして、考えたことが正しかったかどうかをはっきり分からせてくれるのが面白かった。作戦通りにうまくいったときの嬉しさったら…ねぇ…(笑)。だめならだめで次はこうしてやろう!と思うわけですよ。ですから、四季折々、自然の中にいると飽きることがなかったですね」
冬はクロスカントリースキーに熱中した佐藤さんだが、雪のない季節には、陸上競技を中心にバスケットボール、水泳、野球などさまざまなスポーツを楽しんだ。もちろん、何をやってもハイレベル。バスケットボールでも優勝、陸上も上位の常連だったという。

小学生時代にラーメン店で鍛えた接客術
そして選んだ進路は体育の教員。大学に進学し、サッカー部で汗を流しながら夢を追いかけた。高校の恩師も彼に教員を薦めたというが、そこには現在につながる彼の素養があった。人の懐にすっと入っていくあの明るい人柄である。
「父が脱サラして始めたラーメン屋で、小学生の頃から店に出てましたからね。常連さんにお酌したり、カウンターで応対したり…。そんな経験が関係しているのかもしれません。だから(親には)感謝してるんです。コールマンに入ったばかりの頃も、行く先々で根っからの営業マンだね…なんて言われましたよ」
しかし、卒業を控えた大学4年……その進路は大きく向きを変えることになる。
「教育実習で郷土の学校に行ったんですが“東京ってどんなところですか?”とか、生徒から社会について実にいろいろなことを聞かれるんですよ。それでちょっと考えてしまいました。このまま一般の社会を知らずに先生になっても、(生徒に)伝えられることがそんなにないんじゃないかな…と。それで、1度社会に出てみようと思いました。ですから、3~4年したら教職に戻ろうと思ってたんです」
こうして、ある広告代理店の内定をとった佐藤さんだが、卒業間近の12月下旬、コールマンと運命的な出会いを果たすことになる。それは、たまたま見ていた求人誌の1ページだった。
「The Great Outdoor Companyって書いてあって、こんなこと載せるのはどんな会社なんだろう?って興味が湧いたんですね。書店に飛び込んでアウトドア年鑑みたいなのを開いたら、100年くらいの歴史があるかっこいい会社だった…。でも求人は翌日が締切 (笑)。慌てて速達を投函しました。面接では“笑顔とガッツは自信があります。もし、使い物にならなかったらすぐクビにしてもらって構いません!”って売り込んだんです」
こうして1996年3月、晴れてコールマンジャパンの一員となる。
「大変でしたよ。(コールマンのことは)何も知らないんだから。2月に内定をもらってから入社までの間、取扱店を回ったり、本を読んだり、品番まで暗記するくらいノートにまとめたりしました。ランタンを1台買って、分解や組み立ても繰り返しましたね」
しかし、現在と比べれば規模も小さく、ひとりがさまざまな業務を兼ねなければならなかった時代。残業も多く、週末は取引先への販売応援に費やすため休みも少ない。
「きつかったけど、やりがいはありましたね。楽しむものを広める商売、人に喜んでもらえる仕事っていいなぁ…と思えたんです。ラーメン1杯作って、“美味しいね!”って喜ばれてお金をもらう親父の姿を見てきたので、同じように喜んでもらえる仕事って幸せだなと…単なる自己満足かもしれませんけど (笑)」

居心地がよかった体育会系の営業部
「コールマンってすごいブランドだな…って最初に感じたのは、23とか24歳くらい。新規取引先を開拓するようになった時でした。まず、訪問のアポイントをとるわけですが、断られたことがなかったですね。普通は、会ってもらったり、話を聞いてもらうまでが大変じゃないですか…。他社の知人の話を聞くとそこで苦労しているみたいですから。でも、20代半ばの若造が超大手の流通さんに行っても、きちんと耳を傾けていただけたんです。(大学の)同期には“そんな大きな取引先にひとりで出かけて行くわけ?俺はまだ先輩のカバン持ちだぜ。いい会社に入ったなぁ”って羨ましがられました」
ご記憶の方もいらっしゃるだろうが、この連載で営業本部次長の市川泰三さんもまったく同じことを口にしていた。コールマンというブランドの重みと、先人の努力がどれだけ大きいものか…営業の現場に立つ者は誰もが痛感するという。
「お店の方にいろいろと教えていただきましたね。最初はとにかく店頭のお手伝いです。売り場作りとかね。そうすると“お前のとこの商品はここが…”なんて、指摘してくれるようになるんですよ。やがてお客さんからも声をかけてもらえるようになるんですね」
あるとき、彼が対応した4人家族が、“おかげさまで先週末楽しめました”と、笑顔のキャンプ写真を持ってきた。“いい仕事ができたな…って幸せになりました…”と、顔をくしゃくしゃにした。とはいえ、当時の営業部は体育会のような雰囲気が漂っていたという。
「(先輩は)めちゃくちゃ厳しかったですよ。誰もがコールマンというブランドをとても大事にしていましたから、それを汚すようなことは絶対にあってはならないと…。もちろん、礼儀作法、電話の受け答えのような基本中の基本から始まって、スケジュール管理まできっちり鍛えられました。お客様は忙しい中で時間を作ってくださるのだからそれに見合うだけの提案、恥ずかしくない企画を持っていかなければならない…と教えられました。それができなかったときは帰社してから、厳しく叱られます。そりゃ、先輩だって疲れているのに人を叱るのはイヤだと思うんですよね。でもそのあときちんと失敗の後始末をして、一緒に責任をとってくれました。よく飲みにも連れていってもらいました。私にとっては、大学時代の寮の先輩後輩関係のようで居心地がよかったですね」

マーケティングと営業の架け橋になりたい…
こうして入社以来12年間、営業職でさまざまな課題にチャレンジしてきた佐藤さんだが、2009年マーケティング本部に異動となる。
「営業で培ったことをマーケティングで活かしてほしい…と言われましたが、自分としては、営業とマーケティングの交流を促したいという想いもありました。最初の仕事はプロモーションです。プレゼントなどのキャンペーンとか販促ツールとか…。翌年からはグループマネージャーとして、イベントにも関わるようになったんです」
イベントの多くは野外で行なわれるため、参加者の安全確保に心をくだくという。最近はカヤックやSUPで海のイベントも増えたため、その想いが一層募るようだ。
さて、彼が長年蓄積してきた営業の経験や知識は、新たなステージを得て遺憾なく発揮された。市場の変化への鋭い嗅覚を販売のサポートに活かすことができたからだ。
「営業で回っていると、アウトドアシーンの変化が本当によくわかるんですよ。それまでのテント張って一泊して…という流れから、連泊が増えたり、日帰りのデイキャンプとかBBQを楽しむ若者が増えたり、パラソルがサンシェードに変わったり。その後、若いお母さん達がアウトドアに入ってきて、キャンプのママ友みたいなのが話題になって…。ドーム型のテントの動きが少し鈍くなってきたな…なんて思ってたら、2ルームタイプの高価格のテントが売れるようになったりもしました」
しかし、そこには予想もしない苦悩が待っていた。
「営業は毎月、売り上げという数値で(仕事の)結果が出るわけですよね。でも、マーケティングではそういう客観的なものが少ないです。だから、自分の達成感、モチベーションを維持するのが難しい。なかなか満足感が得られませんでした。そこで目標を設定し、達成しているかどうかを自己分析することにしました。マーケティングの仕事は誰も褒めてくれないから(笑)、自分で褒めようと…」
やがてマーケティング本部は、消費者ターゲット別にグループ分けされ、それぞれの市場に向け活動することになった。佐藤さんはそのひとつのグループのリーダーとなって、マスターシリーズなどの広告やプロモーション、PRイベントなどを担当。
現在は、トレッキングやウォーターレクリエーションなど、何かを楽しむための手段としてキャンプを楽しむ人々をターゲットとしたグループのリーダーとして活躍している。

目指すのは、友だちのような…父親のようなブランド
マーケティングの業務ではユーザーと接することも多い。そんなとき、心掛けていることがあるという。
「ひとそれぞれ楽しみ方が違う…それは常に意識しています。キャンプサイトも、時間も過ごし方も、こうあるべきだ…みたいな押しつけは絶対にしちゃいけないと思います。もちろんモノ創りでも…。中にはそういうマニュアル的なことを求める方もいますけど、基本的には“こういうスタイルもありますよ”と、提案するように心がけています。可能性をみせてあげるというか…。お客様と話すときの言葉遣いも含めて…ですね。
モノを売るだけではなく、それを使って過ごすひとときや、暮らしをお届けしたいんです。この国は四季と自然に恵まれていますので、もっともっと楽しめると思うんですよ。コールマンの商品を使ってそれを味わってもらうためのお手伝いを進めたいと…。たとえば、イベントをさらに進化させて、体験ツアーのようなものを増やしていくとか…」
佐藤さんが抱くコールマンの理想像もあくまで自然体。そこにはまもなく115周年を迎えるブランドとしての誇りも漂っていた。
「アウトドアを楽しむ時に、気がついたらいつもそこにいる……そんな存在でありたいと思います。友達のような父親のような…。出しゃばらずに、気の利いた手助けができたらいいなぁ…と。でも、そういう存在であり続けるために、ビギナーにも、年に1,2度しか行かない方にも、マニアックな方にも対応できるような幅広い商品を用意していきたいと思います。その上で、ランタンやバーナーは手入れすれば何世代でも使っていただけますから、長いお付き合いになれたらうれしいですね」
3、4年の社会経験のはずだった職場も気がつけば19年。いまや押しも押されぬマーケティング本部の中枢だ。
そして、まもなく新たな任務に就く。テントやタープ、シュラフなどの企画開発をまとめるプロダクトチームのマネージャーだ。
“どんなテントを作りたいですか?”思わずそんな言葉が出かかったけれど、それは愚問というもの。楽しみなんて先延ばししたほうがいいに決まっている。
佐藤さん……日本中のファンが期待してますよ。


取材と文
三浦修
みうらしゅう
コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。
1960年生まれ。千葉県市川市在住