市川泰三

営業本部次長

市川泰三
その素顔は、物静かな語り口や端正な顔立ちからは想像できない熱い営業マンだった

「どれだけ売れたとしても、もっと、もっとたくさん売りたいと思います。営業マンってそういうものじゃないですか?」。

そんな言葉をさらりと口にする市川さんは、この10月に発足したばかりの営業本部で新たな業務の構築に奔走中。入社以来営業一筋で過ごしてきた。

1971年生まれの市川さんは42歳。東京生まれの東京育ちという生粋の都会っ子だ。

サーフィンに目覚めた中学時代

「アウトドアがどうのこうのというより、子どもの頃から外でばかり遊んでいましたね。近所にうっそうとした森のある公園があって…。当時は、都内でも虫を採るような環境が残っていたんです。葛西あたりには水源があったりして、自転車で行くとゲンゴロウとかが採れました。水辺に腕を突っ込めば、ザリガニもたくさん捕まえられたし。江戸川で泳いだりもしました。23区内でもそんなに家が密集していなかったんです。もっとゆるい感じでした」。

そんな市川さんが本格的な自然と出会ったのは小学校の低学年だという。

「父が千葉の勝浦に連れて行ってくれました。海で素潜りをして、魚を突いたりしたんです。楽しかったですね。そのうち、中学校の後半になって、兄貴がサーフィンに連れて行ってくれるようになりました」。

サーフィンという遊びはその後、彼の人生にずっと付き添うことになる。今もなお、暮らしの一角を占めているほどだ。

「初めてのサーフィンは苦しかった…(笑)。かっこいいイメージで行ったのに、板の上に寝っ転がってパドリングして、水をバンバンかぶって、結局1度も立てずに家に帰ってきたんです。でも、学校でサーフィンをやってるやつなんていないわけですよ。だから、友だちには自慢して、思いっきりスカしてました(笑)」。

しかし、この日の経験が、市川少年の胸に自然への親しみと畏敬の念を芽生えさせる。

「もちろん、苦しいだけではなくて魅力もありましたよ。自然の凄さっていうか…波に押されるだけでそのパワーを感じましたし、人に造られた物ではない存在に触れた驚きでしょうかね。非日常に出会ったということかもしれません」。

生来のスポーツマンである市川さんは、その後、陸上短距離や砲丸投げ、柔道、テニス、スノーボードとさまざまなスポーツを楽しんだ。大学時代には、ニジマスのルアーフィッシングやキャンプ、BBQといった代表的なアウトドアレジャーにも足を踏み入れたという。卒業前にはバックパッキングも経験し、シンガポールからマレー鉄道に乗ってタイまでをひと月半ほどで旅したり、ヨーロッパのユースホステルを回ったりもした。

「何か1本筋を通してず~っとやったというのはないんです(笑)。いろいろ手を出してたんですね。新しい刺激が欲しいというか、非常に飽きっぽいというか…。面白そうだと思ったらすぐに手を出してみるっていう感じでした」。

しかし、こういった生活の中に、コールマンとの出会いも潜んでいたのである。

「大学時代のテニス合宿とかで、ウォータージャグやクーラーがありました。兄貴がワンマントルランタンを持っていたんで、それをいじった記憶もあります」。

市川さんが経験したさまざまなアウトドアスポーツの中で、現在の生活に残っているのはサーフィンだけだ。今もなお、彼は週に1度のペースで波に会いにゆくという。

「サーフィンだけが続いているのは手軽だからですよ。4、5時間くらいあればパッと行って、楽しんで帰ってこれるんです。結婚していて共働きなので、休日といっても遊んでばかりはいられません。今、江戸川区に住んでいるんですが、千葉の外房なら1時間くらいで行けちゃうわけです。それで2,3時間サーフィンやって帰ってくれば、家事も手伝える(笑)。朝4時くらいに出発しても10時には帰宅できるんです。本当は釣りとかスノボーとかもやりたいんですが、どうしても丸1日必要になりますからね」。

サーフィンするときに欠かせないのがワックス。で、コールマンの「テイク6」がワックス入れに大活躍。どんなに暑くてもワックスが溶けない、サーファーの強い味方!
サーフィンするときに欠かせないのがワックス。で、コールマンの「テイク6」がワックス入れに大活躍。どんなに暑くてもワックスが溶けない、サーファーの強い味方!

コールマンはプライドに満ちた職場だった

大学卒業後、市川さんが選んだ進路は電線メーカーでの営業職だった。

「バブルが弾けたあとで就職氷河期でした。なんとなく、物を作ってる所で働きたいなぁ…って思ったんです。最初の職場はケーブルなどを扱っていて、5年半くらいいました。大手メーカーの要望に合わせたケーブルを作って納める…という仕事です。得意先に言われたとおりの物を作って届けるという業務の中で、次第に自分が作りたい、売りたい物がそのまま世に出る仕事をしたいと思うようになっていきました」。

そんなある日、コールマンとの縁が訪れる。

「求人雑誌を眺めていたらコールマンの社員募集があったんです。その瞬間、昔見たランタンとかクーラーが全部頭の中でつながって…コールマンというブランドで物を作って世に出しているというところに惹かれたました。即決でしたね、 “受けてみよう!”って。1999年入社です。28歳でした」。

営業部に配属された彼の目に映ったコールマンジャパンは、実に誇り高い職場だったという。

「最初の印象は職場の雰囲気が明るいなぁ…ということでしょうか。そして外資だなって雰囲気でした。目標をきっちり立ててそれを達成し、それだけの見返りも手にする…“稼いでやるんだ!”というイメージでした。しかし何よりも、ブランドを大切にする会社だと感じました。得意先を訪ねるたびに、先輩たちがブランドというものをどれだけ大切にしてきたかを知ったんです。どこのお店でも“コールマンが来てくれた!”っていう雰囲気なんですね。それは、いろいろな努力の積み重ねでブランドのポジションを上げてきた結果だと思います。以前の仕事では、ブランドがあって営業していたわけじゃないので、飛び込みで訪ねても門前払いだったり、“なんだ、お前?”というような対応をされることが珍しくありませんでした。

でも、コールマンに来てからは、会ってもらえないなんてことはほとんどなかったですね。 “ご提案があります…”って言えば、買ってもらえるかどうかは別として、ちゃんと話を聞いてもらえる。これはすごいことだと思いました。圧倒的なブランド力ですよね。そして、営業だけではなく、あらゆる部署でその想いを大切にしている会社だと思いました」。

この言葉を聞いて、私はコールマンを創る人々の7回めに登場した関理佳さんの顔が浮かんだ。製品の貿易業務に関わっている彼女は、コールマンクオリティは商品だけでなく通関のための手続きや提出書類の仕上げにも行き届かなければなければならないと語っていた。第5回の鴨川蘭子さんも経理職でありながら「シビアに見ちゃいますよ。売り場での配置とかね。思ったような展示になっていないと、ムっとしたりして(笑)、なんだよこの配置!なんて腹を立てたりします。逆に、きちっと提案型の飾り付けで展示されてると嬉しくなります。お客様がどんな表情でウチの商品を見ているかも気になるんで、そーっと近づいて横目でチラッチラッと見ちゃいます(笑)」と訴える。

まさにプライドが全社に満ちているのである。

さて、メーカーへ部材を納める毎日から、そのままの形でユーザーの手にわたる商品を扱う業務への転進を市川さんはどう感じたのだろうか。

「それまでは、B to B(企業対企業)で商売していたわけですけど、コールマンではB to C(企業から一般消費者)まで見るような形になりました。売って、納品で終わりではなくて、お客さんの手にきちんと届くかどうか、理解して使われているか…までをしっかり考えるようになったわけですが、それは苦労でもあり喜びでもあります。もちろん、店頭でユーザーさんと直に接することもあって、そこでは商品に関するいろいろな情報を提供すると共に、私たちもさまざまな情報を得ることができます。それを社内に持ち帰ってマーケティンング部などにフィードバックするわけです」。

車内にはクーラーボックスが何個も常備。サーフィンはもちろん、買い物やドライブなど普段の生活でも使える
車内にはクーラーボックスが何個も常備。サーフィンはもちろん、買い物やドライブなど普段の生活でも使える

全分野で他を圧倒したい・・・

営業ひと筋で歩んできた市川さんだが、どんな時に喜びを感じるのだろう。そんな素朴な質問をすると、少し微笑みながら噛みしめるように語り始めた。

「自分たちが絶対いいと思っている商品でも、それがきちんと理解されずに売れ行きが伸びないこともあるんです。でも、さっき言ったようにユーザーさんまで伝わるような営業活動をして、状況が改善され、“あの商品使ってますよ!”なんて言われると嬉しいですね。それと……みんなそうなんでしょうけど、僕はコールマンというブランドに自信とかなりのプライドを持っていますので、うちの商品が売れたって店頭で言われるのがいちばん嬉しいです」。

とはいえ、彼のような長いキャリアを持つ営業マンにとってそんなセリフは聞き飽きているのではないか。

「いや、何度言われても嬉しいですねぇ。何度言われても…。そして、どれだけ売れたとしても、もっと、もっとたくさん売りたいと思います。営業マンってそういうものじゃないですか…」。

それは、長年、営業の最前線に身を置いてきた彼だからこそ口にできる率直で、強烈な言葉だった。どれだけ売れても、もっともっと売りたい…。こんなシンプルで熱い言葉があるだろうか。

「他社の商品を褒められると悔しいです。本当に悔しい。だから、その情報を社内に持ち帰って、それを覆すものを作ろう!って言うのも営業の役割だと思います。ある意味、私は社内的にも社外的にもスピーカーとして存在したいんです」。

この想いが、後述する彼の新たな業務の本質となっている。しかし、コールマンブランドを支える一員としてのさらに強烈な言葉が続いた。

仕事はもちろん、プライベートでもよくキャンプに行くという市川さん。マスターシリーズのテントを愛用中
仕事はもちろん、プライベートでもよくキャンプに行くという市川さん。マスターシリーズのテントを愛用中

「あらゆるジャンル、カテゴリーで勝ちたいですよ。商材としてのカテゴリーはもちろんですし、お客さんのレンジもそうです。この世界では、初心者もいればトップエンドでコアなこだわりのあるファンもいらっしゃいます。だから、ほとんどのメーカーは得意とする分野にある程度絞って活動しています。

でもうちは、長い歴史と、キャンプ文化を根付かせてきたという自負があるので、コールマンさえあればキャンプができる…というオールマイティな展開をしてきました。一方で、ある一部分の限られた範囲では強い存在感を示すメーカーもあるんですね。僕らはそこでも負けたくない。全分野で他を圧倒したいんです。いろんなお客さんがいるんですが、そのすべてを必ず満足させるメーカーでありたいです。エントリーもベテランも、燃焼器具が大好きな人もいれば、コレクターも…。そのニーズを100%満たすようなブランドでありたいし、目指さなければいけないと思います。トップエンドやコアな商品に絞れば、メディアでも取り上げられやすいし、目立つし、そういうのを好む方々は発言力もあるんですが、エントリーのお客さんを掘り起こすような地道な商品作りもおろそかにしては絶対にいけないと思っているんですよ」。

目指すのは横綱相撲ですね…と言うと少し不思議そうな顔をした。昔の横綱は、相手の相撲に合わせて勝つことを理想としたという。技巧派には技で、パワーで向かってくる相手には力で…どんな相手でもその得意な展開に合わせ、それでも勝つことを身上としたのだとか。 “そんなすごいもんじゃないですけどね…”と照れくさそうに笑うが、嬉しそうだった。

さて、そんな市川さんが現在取り組んでいるのは、営業推進という新たなプロジェクト。それは、彼自身が目指していた“社内外のスピーカー”の具現化だ。

「これまでと基本的なスタンスはあまり変わらないんですけどね。もう少し、社内で情報を集約していこうと…。営業活動の中で、小売店さんなどからいろいろな情報が入ってきます。これまではそれを単発的に処理していたんですが、これからはすべて営業本部で吸い上げて、マーケティングという物を作る部署などで効率的に活用していこうというわけです。

逆のケースもあります。マーケティングが発信したい情報…たとえばある意図でユーザーの掘り起こしをしたいとか、こういう刺激を与えたいとか、こんな商品を開発するのでそれに合わせた売り場作りやプロモーションをやってほしいとか、そういったことを営業サイドへ伝える役割も負っています。つまり、物作りと販売を効率よくしっかりと結ぶ役割ですね。まぁ、営業からもマーケティングからも憎まれ役になるのかもしれませんけどね……」。

年明けには本格的に始動するという新プロジェクト。憎まれ役もいとわないという市川さんの熱い想いが未知のルートを切り開くのもまもなくだ。

取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住