田中喜大

営業部 福岡営業所 係長

田中喜大
終始笑顔を絶やさない田中さん。営業活動もこの明るさが武器になっているのだろう

私たちの国は、アメリカや中国に比べればほんの小さな島国だ。しかし、細長く伸びた国土には、北海道から沖縄まで多彩な自然環境、さまざまな文化や歴史が共存する。それは遊びやアウトドアレジャーにも反映され、関東には関東の、関西には関西の、そして九州には九州のシーンが育まれてきた。今回お会いした田中喜大さんは、福岡営業所を率いてこの地のキャンプシーンを支えている。

忘れられない東京でのワンシーン

「九州ではまだ、キャンプが東京のようには普及していないような気がします。何年か前にカヤックの研修で東京に行った時、その会場となった公園に行ってみたら、ものすごい数のヘキサタープが張られていて、大勢の方がBBQを楽しんでいたんですよ。九州ではそういう光景はまだ少ないです。びっくりしましたねぇ。いつか、九州もこうしてみたい…って強く思いました」

田中さんは福岡県久留米市の生まれ。久留米といえば、松田聖子さんやチェッカーズが頭に浮かぶが、自然豊かな九州北部の主要都市のひとつである。家の周りでセミやカブトムシを追う少年時代…キャンプとの出会いもその頃にあったという。

「小学校の頃、夏になると親父が大分のほうへキャンプに連れて行ってくれたんですよ。まだちゃんとしたテントではなくて、バンガローみたいなところに泊まるんですけどね。その頃、キャンプは一般的ではありませんでした。九州って豊かな自然がすぐ身近にありますからね。わざわざキャンプ…なんて意識しなくてもよかったんだと思います」

そんな時代に子どもをキャンプに連れて行った先進的な父親は、彼と過ごす時間をとても大切にしていたという。

「キャンプと共に記憶に残っているのは、よく出かけた平和台球場のプロ野球観戦。もちろんドームではないので、雨降らないかなぁ…なんて思いながら楽しみに待つんです。僕は、父にとって初めての男の子だったので、うれしかったと思うんですよ。男親として息子をいろいろなところに連れて行きたかったんでしょうね」

自然豊かな土地で、小さな頃からキャンプに親しんだ田中さんは、やがてスポーツに目覚める。

「小学校に入って少年野球を始めましたが、Jリーグが始まった中学生の時、サッカーに移りました。サッカーって、チームプレーの中でも自分自身の瞬時の判断が求められる。そこに惹かれました。高校時代は、部活中心で、友人とカラオケに行くのも楽しかったですね。とにかく車の免許を早く取りたいと思っていました。車があれば行動範囲が広がるじゃないですか…」

「次男が3歳になった頃から家族でキャンプに行くようになりました。年に2~3回ですね。海水浴に も連れて行きますよ。これは福岡の茶屋(けや)海水浴場です」
「次男が3歳になった頃から家族でキャンプに行くようになりました。年に2~3回ですね。海水浴に も連れて行きますよ。これは福岡の茶屋(けや)海水浴場です」

青春を支えたスノーボードとRV車

大学も地元久留米。入学と同時に自動車免許を取得し、念願のクルマを手に入れる。

「20万円でボロボロのクルマを買ったんです。そして、大学1年の冬、知り合いの影響でスノーボードを始めまして…。九州の人は、ちょっと遠いんですけど、広島、島根あたりに行くんですよ。金もないから途中までは下道で、片道6時間くらいですかね。とはいっても、行けるのは12月から2月末くらいのシーズンで3、4回。そのうち、やっぱり普通のクルマじゃ厳しいと…RV車だろうと…。それで大学3年の時、当時流行していたパジェロを手に入れました」

当時、若者の垂涎の的、時代のアイコンだった紺のツートンのパジェロを得て彼のアウトドアライフは充実していった。

「それで、夏になるとキャンプなんです。やっぱりクルマを手に入れたのは大きかったですね。最初のうちはバンガローに泊まってBBQをやっていれば楽しかったんですが、そのうち周りを見回してみると、テントとかランタンとか欲しくなっちゃうわけです。とにかく九州はきれいな風景が多いですから。九重とか阿蘇…そして温泉旅行…いろいろなところに出かけました」

大学を卒業した田中さんが選んだのは、高級輸入車を扱う自動車販売会社だった。

「クルマが好きでしたから、できることならそれに関係する職に就きたいと思っていました。富裕層で年配のお客様が多かったので、それまで聞いたこともないような話を聞けたのはありがたかったですね」

営業という仕事に魅入られた男

その後、求人誌で見かけたコールマンの門を叩くことになる。職種は同じ営業。すでに、販売という仕事の魅力が彼の心をしっかりと捉えていたのだ。

「職種を変えようとは思わなかったですね。物を売るって楽しいじゃないですか。店頭で、自分が納めた商品をお客様が買って行ってくださる姿を見ると本当にうれしいです。ウチの商品を選んでくれたんだ…いつも心の中で“ありがとうございます”って言っています」

アウトドア用品という商材を得て、新たなスタートを切った田中さんだが、それは仕事の仕組みも規模もまったく異なる世界。待っていたのは戸惑いやいくつもの壁だったという。

「福岡営業所で採用されました。入ってすぐに研修で本社に呼ばれたんですが、社内の雰囲気が明るいのでびっくりしたんです。みんな若いし、趣味が多様でよく遊んでいるような感じでした。サーフィンとかオートバイ、ゴルフとか…。前の会社はスーツでしたが、コールマンはみんなカジュアルな私服でしょ。

営業所は、この連載にも出た佐藤(佐藤明/第22回に登場)とふたり。最初は躊躇しましたよ。だってマン・ツー・マンじゃないですか。ふたりだけだから逃げ場がない(笑)。最初に担当した大手のお店がちょうど規模を縮小させていた時期で、年々売り上げが減っていったんです。俺のやり方が悪いのかなぁ…提案の仕方がいけないのかなぁ…と、本当に悩みました。先輩の佐藤にはよく相談にのってもらいました。やがて、ほかの会社も担当するようになり、そちらでは売り上げにつながっていったので、少なくとも自分のやり方が間違っていなかったんだ…と。なんとかやっていける自信が生まれるまで3年くらいかかりましたかね」

田中さんがお気に入りのナチュラルウッドロールテーブル。「コンパクトに収納できて持ち運びが便利なんです。天然木なので使い込むと風合いがよくなるんですよ」
田中さんがお気に入りのナチュラルウッドロールテーブル。「コンパクトに収納できて持ち運びが便利なんです。天然木なので使い込むと風合いがよくなるんですよ」

しかし、道が開ければその先には新しい壁が待っていた。その壁を崩して喜びを味わっては、また次のチャレンジが…。彼の歩みは、そんな試行錯誤の繰り返しだった。

「なかなかうまくいかなかった大手さんで、急に大きな商談がポンっと決まったことがあったんです。それまでは、門前払いみたいな感じで。自分なりにその理由をいろいろ考えてみたんですよ。結局ね、バイヤーさんや店頭の方が自信を持てない商品は、彼らも積極的に売れないだろうと思ったんです。だから、まず提案のアイテムを絞ったりとか、売り方の提案を一歩踏み込んだりとか…とにかくほんの少しでも最初の実績を作ることを心掛けたのが思いがけない結果につながったんですね」

小さくてもよいからまず実績を作り、商品力を実感してもらい、そこを突破口に次のステップを提案する…これが田中さんの基本姿勢になった。

「僕の担当しているエリアでは、コールマンさんは高くて難しいんですよね…って言われることも少なくありません。決して高くはないと思うんですよ…でもそういうイメージがあったんですね。ブランド品は高い…と。店頭に置いてもらうには、それでもちゃんと売れるんだという実績を見せなければならない。商談のテーブルでどれだけ言ってもだめなんです。現場で感じてもらわないと…」

しかし、その想いが一度伝わりさえすれば、販売店の熱気も一気に高まったという。

「やっぱり、実物を見てイメージがわかないと、エンドユーザーはなかなか手を伸ばして下さらないですからね。あるチェーン店で、パーティ―シェードを張ってイメージディスプレイをさせてください…って提案したんです。でも、最初から何十店舗もの規模でそれだけのスペースをもらうのって難しい。それでどうにか頼みこんで、初年度は3店舗でやらせていただけたんです。自分としては展示できれば売れる!って自信はあったんで…。

すると、やっぱり売れるんですよ。お店の人も“売れるねぇ!”って喜んでくださって。で、翌年は10店舗でやろうってことになるんです。次は20店舗…(笑)。期間も、初めは4月から8月までだったのが、お店のほうから“2月から(売場を)空けてますからね。いつ来てくれるんですか?”と。売り場の床も、“人工芝を敷きましょうか?”って言っていただけるようになる。それもちょっと高いリアルな人工芝ね…(笑)。そうやって、お店の担当の方が自信を持って取り組んでくれるようになると本当にうれしいです」

彼は、九州でのキャンプシーンを活性化するために、新たなマーケットの開拓にも余念がない。

「それまでとは違う客層にアピールしようと思って、今は家具雑貨店にチャレンジしています。そういう所だと少し値が高くてもおしゃれな物とか機能がしっかりした物を買っていただけるんじゃないかと考えたんです。でも、前例がないですからね。ここでも“とにかく1年でいいから置いてみてください、ほんのちょっとでもいいから入れてみてください”って(笑)。するとやっぱり売れるんですよね。量販店だとブルーシートがまだまだ主役なのに、そこではかわいい柄のレジャーシートがウケたり…。それで、もうちょっと増やそうか…という話になる。

お店だってそれまでになかった分野の商品で売り上げが立てばうれしいですからね」

「やっぱり、コールマン」と言ってもらえる喜びと誇り

田中さんは、コールマンの一員としての誇りと責任を常に感じてきた。そして、九州という地にあっても、本社や他エリアのメンバーとの一体感に包まれているという。

「僕なんて普段は離れてるじゃないですか。でも、たまに本社に行ったりしても、そんなことを感じさせないくらい自然に受け入れてくれるし、呑みに誘ったりもしてくれる。仕事の相談も気安くできます。みんな面倒見がいいし、部署内の仲もいいチームワークのよい会社だと思いますよ」

彼には、仕事先で耳にした忘れられない言葉があり、ある時は誇りを、ある時は勇気を与えてくれた。

「仕事先やお客様から“やっぱり、コールマン…”って言われることがあるんですけど、そんな時、この会社に入って本当によかったなぁ…と思います。これからも、そう言い続けてもらえるように頑張らないとなぁ…と。入ったばかりの頃、二十代の私が出かけて行っても、先方は部長さんが会ってくれました。そして“コールマンさん”って、さん付けしてくれるんです。それは、これまでのみんなの努力の結果じゃないですか。歴史のある会社ですからね。これだけブランドの地位を高く維持してきた会社だからそれを壊しちゃいけないと思います」

気がつけばインタビューは二時間になろうとしていた。どんな質問にも、笑顔で快活に、そして堂々と答える姿に、九州男児という言葉がよぎる。やっぱり田中さんも亭主関白?(笑)

「いや、九州はね…女性が強くてしっかりしてるんですよ。だから、男を立てるし、男が威張ってられるんです。僕はそう思ってますね。ウチもそうですよ。あと、九州はまっすぐな男が多いですね。あんまり掛け引きとかは得意じゃなく、気持ちでぶつかってくる人が多いんです」

先進的な父親が教えてくれたアウトドアの楽しさを今、田中さんも同じように我が子へ伝えようとしている。父から子へ、子から孫へ…。それは、ランタンやツーバーナーが世代を越えて引き継がれていくのにも似ている。

「今、自分も子どもが3人いて、やっぱりいちばん下が男なんですよ。ですから、親父の気持ちがなんとなく分かるんです」。そう言うと少し遠い目になった。

子どもたちが田中さんと同じ歳になる頃…九州のアウトドアシーンはどんな姿を見せてくれるだろう。東京の公園で目にしたあのシーンは久留米でも繰り広げられるようになっているだろうか。

それは田中さんの頑張り次第ですよね……と、言いかけて言葉を呑みこんだ。なぜなら彼自身がそれをいちばん知っていて、そのために今日も汗を流しているはずだからである。

九州男児は一途なのだ。

プライベートキャンプで。夕景に移るギアが美しくて思わず撮った一枚。
プライベートキャンプで。夕景に移るギアが美しくて思わず撮った一枚。
取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住