田中英幸

マーケティング本部 グループマネージャー

田中英幸
声優のようによく通る声が印象的な田中さん。誰もがその人懐っこい笑顔に惹きつけられ

現在、私はこの連載を含め、いろいろな形でコールマンと関わらせていただいているが、そもそも縁結びをしてくれたのが今回のゲスト、田中英幸さん。雑誌編集を生業としていた頃、サイト上でコラムを書いてみないか?と、声をかけてくださったのである。

…というわけで旧知の仲。妙な気恥かしさを抱えながらインタビューの幕が開いた。

子どもの頃から好奇心のかたまりだった

1967年生まれの彼は横浜市港北区の出身。今年、47歳になる。

「子ども時代は高度経済成長のど真ん中でした。ちょうど第三京浜(道路)ができた頃でね、家から20分くらいでその土手に登れたんで、車を見に行くんですよ(笑)。当時、スーパーカーブームでしてね。スピードを出したいオーナーが第三京浜に来るんです。 “ポルシェはFR(後輪駆動)だから、前輪が浮かないように前に砂袋が詰まってるんだぜ!”、“ほんとかよ!”なんて子ども同士で盛り上がってました。家から土手まではまだ山や林で、まさにトトロの世界。そこに、野ネズミとかウサギとかキジが住んでいて…樹を見上げればフクロウがとまっていました。ホントに…」

やがて、一家は相模原市に引っ越すことになる。ここで彼は野山で遊ぶ楽しさを知った。

「その頃、いちばん面白かったのは生き物を捕まえること。自転車を20分ほど漕ぐと相模川に出られ、湿地とか田んぼが広がってました。もうザリガニとかイモリ、カエル、ヘビ、魚はいろいろ。カブトムシ、カマキリ、クワガタ…全部採集して家に持ち帰ってました。ある日、アオダイショウだったかヤマカガシだったか…ヘビを1匹捕まえて、首に巻いて帰ったことがあるんです。おふくろが卒倒しそうになって…(笑)」。

やがて、別の世界が彼の好奇心を揺さぶり始める。

「小学校の後半になると鉄道ブーム。僕は世間の流行りをきっちり追いかけるタチで(笑)。最低区間の100円でどこまで行けるかっていう100円旅行っていうのが人気で、この線とこの線の接続時間はこれくらいだから乗り変え可能だな…とか、効率よく接続して帰ってこようとか…とか、そんなことを毎日考えてました」。

時間がいくらあっても足りない。身体だってふたつほしい…

やがて、彼は旅自体に心を奪われていく。中学生になる頃には時刻表を片手に各地のユースホステルに泊まっていた。

「中学最後の春休みには北海道にも行きました。雪景色でした。流氷も、キタキツネも、地吹雪も初めて見たし…。でも、親からは一切お金をもらわずにお年玉を貯めて行ったんですよ。楽しかったですねぇ」。

学校では卓球部に所属。でも情熱を注いだのは電車や旅だった。どこか見たことのない世界に行く…という部分に惹かれていたのだという。

高校進学で飛び込んだのは、ハンドボール部と生物部。

「生物部は夏合宿で尾瀬に連れてってもらえるっていうんで(笑)。尾瀬…よかったですねぇ。本当に美しかった。感動しましたよ。森林限界の山の美しさを初めて知りました。

結局ハンドボール部は半年で飽きちゃって、体操部に移ったんです。男子がひとりしかいなくて廃部になるので顧問の先生が、バック転をできる私に目をつけて“名前だけでもいいから…”と(笑)。でも、ちゃんと練習して鉄棒の大車輪とか、鞍馬、跳馬とかはできるようになりましたよ。そのうち、今度はバンドが忙しくなっちゃって、体操どころじゃなくなりました。ベースだったんですけどね、3つのバンドを掛け持ちしていました。ベーシストは、なり手がいないんで、あっちこっちから頼まれるんです(笑)」。

しかし、彼の高校生活はそれだけではなかった。オートバイにものめり込んでいったのである。

「50ccから始めて2年生には250ccに乗っていました。それを買って一週間で日本海が見たくなりまして、直江津まで行ったんです。持って行ったのは縞々模様のレジャーシートとペラペラの寝袋だけ。季節は夏。浜辺でレジャーシートを広げて寝袋で寝るわけですよ。蚊と若者の花火の洗礼を受けましてね、一睡もできなかった(笑)。でもね、蚊はまだいいんですよ。夜が更けていくと姿を消すから。その後、フナムシが来るんですね。顔の上を歩くの(笑)。それがもう気になって寝られやしない。ひどいんだなぁ…」。

これも、免許取得費用からバイク購入まで、ぜんぶ自分が稼いだ金で実現したという。

1日24時間では足りない。身体もひとつでは足りない。しかし、膨らみ続ける好奇心と情熱。若き日の田中さんはまさに毎日が完全燃焼だった。

田中さんと愛用のバイク。キャンプイベントへ直行するために道具一式をバイクに積んだ雄姿(千葉・森のまきばキャンプ場にて)
田中さんと愛用のバイク。キャンプイベントへ直行するために道具一式をバイクに積んだ雄姿(千葉・森のまきばキャンプ場にて)

山への想いとカナダ行の挫折

大学で彼が選んだのは地理の世界。

「旅の影響かもしれないんですけど、土地とか場所…に興味があったんですね。つまり地理学です。地面の下を掘って、どんなものが堆積しているかを調べて、その土地の生い立ちのようなものを明らかにするんです。ボクの卒業論文は高層湿原、尾瀬でした。だから、高校の生物部で初めて見た尾瀬に、大学の締めくくりで戻ってきちゃったんです」。

学業以外は山に費やしたという。

「入学して、山登りサークルに入りました。山はね、気持ちいいんですよ。ある程度標高を突きぬけちゃうとね。夏だってとにかく涼しいし、虫はいないし、ベタベタしてないし、眺めいいし…。途中はかったるいけどね(笑)。それで、またバイトしまくりです。金を稼いでは山に行く…の繰り返し。行き先は北アルプスが多かったですね」。

やがて社会へ旅立つ日が近づいてくる。しかし、田中さんはほんの少し遠回りをした。

「学生時代最後の夢があったんですよ。休学して自転車でカナダを西から東に走るという…。親に聞いたら“バカ言うな!”と。やるんだったら卒業してからにしろ!というわけです。で、計算してみたんですよ。1日これくらいの距離を走れば、ここからここまで移動するのに何日かかる…って。それに必要な費用を1日のバイト代で割ると、資金を集めるのに必要な日数も出ます。そうすると、とてもじゃないけど不可能なんですね。それで簡単に夢を諦めちゃいました(笑)。ところが、卒業したらカナダに行くつもりだったから就職活動なんてまったくやってない(笑)。じゃ、ちょっと遊んでやれと…。地理学科を卒業すると測量士補っていう資格がもらえるんですが、高速道路のインター建設の測量とかで結構いいお金がもらえるんです。それで、正社員ではなかったですけど、3ヵ月働いてひと月旅に出る…2ヵ月働いてひと月山に行く…って暮らしが始まりました」。

家族でもキャンプを楽しんでいるとか…。これは5年ほど前の写真で、お嬢さんと一緒に散歩しているところ。今では中学生ですが仲よしだそうです
家族でもキャンプを楽しんでいるとか…。これは5年ほど前の写真で、お嬢さんと一緒に散歩しているところ。今では中学生ですが仲よしだそうです

測量士から生産管理のプロへ…

「1年過ぎて、測量以外の仕事もしてみたくなって…。仕事の合間に、BEPALって雑誌をめくってましたらね、たまたまあるアウトドアブランドのアパレル部門が求人してまして。それで、すぐに電話して一週間後には面接に行ってました」。

就いた仕事は生産管理。協力工場との値段、納期、品質基準の交渉、資材の調達、原価計算などを総合的に行なう、生産プロセスのマネージメントだった。測量からアパレルの世界へ…180度異なる刺激的な日々で、彼は新たな才能を開花させていく。

しかし、徐々に商品を作るだけでは満足できなくなっていった。マーケティングに惹かれ始めた彼は、本格的にそれを学ぶため広告代理店へ転職する。

「ある商品を担当していた時、雑誌社と一緒に作り上げていこうという企画がありまして。その時、物を作って展示会で“どう?”っていうだけじゃなくて、メディアなどと一緒に話題を作っていくことができるんだな…って気がついたんですよ」。

新人広告マンとして奮闘の日々、マーケティングに関する書物を片っ端からむさぼり読んだという。

「実際にやってみて、マーケティングは面白いなぁ…と思いました。そんな頃です。当時お付き合いのあった方を通じて、コールマンのプロダクトマネージャーをやってみないか?”と話が来たんです」。

冬の遊びも大好きで、田中ケンさん主催のスノーシューツアーでのひとこま。お隣はケンさんご本人
冬の遊びも大好きで、田中ケンさん主催のスノーシューツアーでのひとこま。お隣はケンさんご本人

若い世代はコールマンを知らない?

コールマンでの仕事は、それまでの経験と知識をすべて活かすことができた。

「担当は私ひとりですから、仕事の裁量が飛躍的に増えました。ここまでひとりでやらせちゃうの?っていうくらいで、羽根が伸びまくりました(笑)。仕事が楽しくて仕方がなかったですね。入社当時はよく徹夜で仕事をしていました。今はもうしないですけどね、すぐに飲みに行っちゃうから(笑)」。

そんな彼の目にコールマンの職場はどう映ったのだろう。

「基本的にチームワークを前提とした、個人の能力主義であること。自分自身で責任を持って業務をこなせるスキルを持った人間を集めているという印象でした。マーケティングにおいては共通の大きなビジョンやゴールはあるんですが、そこに達する方法やルートは、広告担当とイベント担当、プロモーション担当と商品企画ではまったく違うんですよね。だから、人に教わるというよりは各々が自分で考えなければなりません。そんな雰囲気は私にぴったりでした」。

入社して12年。彼はマーケティング業務のほぼ全域を経験した。この数年はグループマネージャーとしてチームのまとめ役となり、現在は若年層向けのグループを率いている。

「若者はコールマンを知らないんだ…ということを忘れないようにしています。ファミリーや三十代後半以上の方にはある程度の認知度があると考えて動くべきですが、若い層では、コールマンとの親和性がそれほど高くないと思った方がいい。彼らの生活圏ではブランド力が強くないと捉えています。ある年齢以上の方のライフステージにはキャンプというものが自然に登場する時期があったと思うんですね。でも、今の二十代にはそれがあまりない。そこをきちっと掴んでおかないと…勘違いしないようにしないと、マーケティングは成立しません」。

そう考える田中さんは、若者層へのアプローチの方法も「待ち」ではダメだと言う。

「こっちから、彼らがいる場所に出かけていきます。“私たちはこういうブランドです。もしかしたら、あなたの家の倉庫にあるかもしれませんよ。お父さんが使っていたかもしれませんよ…”ってね。そうすると、面白いもので、“そういえばこのマークのイス、ウチにある!”なんて話が出てくるわけ。それまで、彼らにとってただのイスだったものが、野外フェスなどイベントの現場でロゴを掲げる私たちと会うと、大きな意味を持ってくる…コールマンと縁ができるんですね。それはすごい手ごたえです。

でもね、媚を売るようなことはあんまりしたくない。彼らのためにコールマンの根本を変えることはしたくないんです。どちらかといえば何かに気づくお手伝いをしたい。思い出すのを助けたい。それで充分じゃないかな…と思ってるんです。もちろん、彼らに近づくための努力、アレンジは必要です。若者が出入りするような店、目につくような場所に置いてもらうための商品開発とかはね。カラー設定とか、キャラクターとか、コラボとか…」。

今いちばんのお気に入りは、なんといっても新商品のスマートキャンプシリーズ。今流行のロースタイルキャンプに最適な設計にぞっこん!
今いちばんのお気に入りは、なんといっても新商品のスマートキャンプシリーズ。今流行のロースタイルキャンプに最適な設計にぞっこん!

さて、今やコールマンジャパンの中堅となった田中さんだが、日々新たな発見があるという。

「コールマンのファミリーとしてやってきた中で、最近気づいたことがあるんです。私たちの究極の目的は、どれだけ広く多くの人にキャンプの楽しさを知ってもらうか…触れてもらうかっていうことなんだな…って。それを長年考え続けてきたメーカーなんだな…と、10年かかってやっと実感しているところなんです。もちろん、スペシャリストに納得してもらえるハイエンドな商品を作ることも大切ですし、一生懸命やっているんですけどね」。

そして、人と道具の関係にこそ、コールマンが守るべき伝統があると信じている。

「老若男女、いろんな人に使ってもらえるように、グッドクオリティ・グッドプライス・グッドチャネルで道具を作ってきましたが、そんな道具たちを使いこなしている人ってかっこいいと…。そういう人の傍らに立ち続けてきたブランドだと思うんです。使い続けているうちに道具がその人のクセに染まっていったり、人のほうが道具に合わせていることもあったり。その人にしか引き出せない魅力を発見することもあるでしょう。それって、道具と会話をしながら暮らすってことですよね。同じツーバーナーでも初心者が使うツーバーナーと、ベテランに20年間使われてきたツーバーナー…同じパーツで作られ同じ色なのに、違ったものになっている…そんなのが理想ですね。そして、道具と人とのいい関係や道具を使うプロセスを大切にすること、人が道具に働きかけるという喜びとかがコールマンブランドのDNAにはあると思います。それはあと100年経っても残っていてほしいですね」。

田中さんの旺盛な好奇心は今も健在だ。そして、あの少年の頃のように自分を熱くしてくれるものを毎日捜し続けているのである。

取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住