福島多加人

アフターサービスグループ プロダクトセンター主任

福島多加人
福島さんは修理部門の統括者として、コールマン商品のアフターサービスを支える

今回、お話を伺うことになったのは、千葉県流山市にあるプロダクトセンターの福島多加人さん。修理部門の主任、つまりランタン、ツーバーナーからクーラーボックス、テントに至るまでさまざまなリペア作業の管理者だ。

これまでの20回、このシリーズのインタビューはすべてコールマンの本社で行なわれてきたが、今回は千葉県の流山市郊外。朝の出勤時間にクルマで向かうため、渋滞を読んで早めに出発することに…。しかしこの日は意外にスムースで、予定よりも1時間近く早く到着してしまい、始業時刻まで駐車場で待つこととなった。

ところが、結果としてこのタイムラグが、私の知らなかったコールマンの素顔を教えてくれることになったのである。その嬉しい出来事とは…。

朝のプロダクトセンターで見た光景

始業まで20分を切った頃から、車内で待つ私の前をひとり、またひとりとスタッフが通り過ぎていく。駐車場には巨大な貨物車が止まっていて、納品のため社員の出社を待っているようだった。

やがてシャッターが上がり、中から若いスタッフが7,8人現れる。ひとりがフォークリフトを操り、パレットを貨物車につけた。すると他の面々が寄っていって、大きな段ボールを次々と降ろしていく。……と、ここまではよくある風景。惹かれたのはその雰囲気だった。

スタッフの中には女性も何人かいて、細い腕で男性と同じようにひと抱えもある段ボールを持ちあげている。もちろん、重さに応じて男性が代わったりもしているのだろうが、全員がサポートし合い、何か笑顔で言葉を交わしながら、淡々と作業が進んでいくのである。ふざけたり、気を抜いたりしているのではないことは、大量の荷物を20分もかからずに降ろしてしまったことからも分かる。作業は堅実で、ひとつひとつを丁寧に、そして確実に倉庫に運び込んでいた。

結局、荷台から商品が消えるまで、彼らから笑顔が消えることはなかった。誤解を恐れずに言えば、まるでサークルのような朗らかなムードのまま作業を終えたのである。仕事柄、さまざまな企業、事業所を訪ね取材もこなしてきたが、荷降ろしのような力仕事をこれほど和やかに進める光景は見たことがない。

目を見張ったのは、その見事なチームワーク…連帯感…そしてコミュニケーションだった。これまでは、ひとりずつ部屋に来てもらっていたこともあって、コールマンのこういう素顔を見ることはなかったからなおさら胸を打ったのかもしれない。

かつて、オペレーションマネージメント本部の関理佳さんを訪ねたとき、輸出入の書類作成もコールマンクオリティを心がけたい…と聞いて胸が熱くなったが、ここにもまたもうひとつのコールマンクオリティが存在した。福島さんへのインタビューが始まる前に、そこに触れることができたのは実に幸運だったと思う。

千葉県流山市にあるプロダクトセンター。全国のユーザーからの修理品がここに集まってくる
千葉県流山市にあるプロダクトセンター。全国のユーザーからの修理品がここに集まってくる

修理部門をまとめる物静かなリーダー

福島さんは寡黙な人だった。何を尋ねてもあごに手を当てて宙を仰ぐ。しばし、目をつむって、小さくため息をつく。そして、ひとつひとつ慎重に言葉を選んで答えるのだった。

しかし、その寡黙さが私にはとても好ましく思えた。彼の仕事は“修理の統括”である。テントやタープはもちろん、燃焼器具もそこには含まれる。発火性のある燃料を用いる機械の調整や修理には、細心の注意と慎重さが求められるのは言うまでもない。時おり、困ったような顔をしながら誠実に応えようとする福島さんの横顔を眺めながら、“こんな人が目を光らせているのならどんな修理を頼んでも安心だなぁ……”などと、妙に納得するのだった。

「1984年10月3日に長崎で生まれ、2、3歳で千葉に引っ越してきました。ここの近く、流山です。このあたりも当時は自然豊かだったんですよ。だから、子どもの頃はずっと外で遊んでいました。セミやザリガニを捕ったり。それで親に怒られるわけです。野田のほうに行くと森がいっぱい残っててカブトムシがよく捕れたんですが、家にいっぱい持ち帰ると“なんでこんなに捕ってきたの!”って。たまに夜中に逃げ出して家の中を歩き回ると、おふくろがゴキブリと間違えて大騒ぎ(笑)」。

小学校では少年野球に熱中していたというが、それは中学まで続いた。

「(チームは)すごく弱かったんですけどね。楽しかったですよ。仲間と一緒にワイワイやるというのが…。ポジションはセンター。結構、ヒマなんです。でも気を抜いている時に限って球が飛んできて、大慌て(笑)」。

そんな彼とアウトドアレジャーとの出会いはBBQだった。

「近くの公園だったと思うんですけど、父が声をかけて家族を連れ出すんです。BBQグリルとクーラーボックス、レジャーシートなんかを持ちましてね。親父は仕事が忙しかったんで、そんな頻繁ではなかったんですが…」。

高校を出た福島さんは、コールマンに入社するまでに幾つかのアルバイトを経験した。

「楽しかったのは、柏市の映画館でしたね。時給は安かったんですけど、新しい作品が放映される前に試写をするんですよ。それは素晴らしい経験でした。映画自体とても好きでしたし…。その一方で辛かったのは高速道路の警備員。工事で3車線を2車線に絞ったりするじゃないですか。あの旗を振り続ける人…。延々、何時間も旗を振るだけの仕事なんですよ。ほんとキツかったですね(笑)」。

最初に就いたのはアウトレットショップの販売

やがて、求人雑誌でたまたま見たコールマンの募集が彼の人生を変えることになる。まだプロダクトセンターが新松戸の北部市場脇にあった頃だ。

「本社ではなくプロダクトセンターの求人でした。実は、それまでコールマンって知らなかったんですよ。でも、あのロゴマークだけは見覚えがあったんです。野球をやってた頃に、クーラーボックスとかウォータージャグが身近にありましたからね。アウトドアでBBQとかに関わっている会社だから楽しそうだな…って思えたのが動機だったんです」。

当時の松戸のプロダクトセンターには数坪のプレハブ拵えのアウトレットが併設されていた。各地の直営ショップが生まれる前で、そこはコールマンファン垂涎の空間だったのである。福島さんのコールマンでのキャリアはここでスタートした。

「そこの販売員が最初でした。映画館で接客はしていましたし、高校時代のバイトで飲食業も経験していたので抵抗はありませんでした。入ってみて感じたのはチームワークのよさですね。そして、ブランドに対する社員の意識が高い会社だと…。また、店頭で長年コールマンを愛用して下さっているユーザーさんに接することも多くて。(コールマンは)すごいブランドなんだ…と意識するんです。それまでのアルバイトではない経験でした。“すごい会社に入っちゃったなぁ”というのが本音でした」。

とはいえ、コールマンを知らない生活からのデビュー。当初は学ぶことばかりの毎日だったという。

「使ったことがないものばかりでしたからね。ただ、お店の前にいろいろな商品の展示をするので、組み立て方とかはすぐに覚えました。BBQやキャンプも会社の人に連れて行ってもらったので、楽しみながら覚えることができましたし…。お客様の中にコレクターの方がけっこういましたね。“これ見てよ!”みたいな感じでお越しになります。関西など遠方からのお客様も多かったですよ。キャンピングカーの方もいて、きっとどこかにキャンプに行く途中で寄ってくださったのだと思います」。

やがて、福島さんの中に修理部門への興味が沸いてくる。それは、現在へとつながる大きな転機を生むことになった。

「店頭で接客している時、結構深いことを尋ねられることもありましたが、その頃の私ではなかなか答えられなかったんです。そんな時、修理の担当者に聞くとすぐに答えが返ってくるんですよ。そのあたりからですね…修理のほうもやってみたいと思い始めたのは…。結局、3年ほどショップにいたんですが、希望を出して修理部門に異動させてもらいました。店頭で何かを聞かれて答えられないって格好悪いじゃないですか。そういうことをいろいろと勉強して、ショップに戻れたら…と思ったんです」。

うず高く積まれたキャンプ用品に囲まれた福島さんの仕事場
うず高く積まれたキャンプ用品に囲まれた福島さんの仕事場

最初に手がけたのはテントやタープの修理

「修理部門って、大きく2つに分かれるんです。主にテントとかシェルターなどのソフトラインと、燃焼器やクーラー、ファニチャーなどのハードラインなんですが、私はソフトに配属されました。最初に、テントポールの修理を担当したんですが、種類がとても多いんですよ。それを覚えるのが大変でした。1本のポールって、何本かに分かれていますが、それぞれ長さが違うことも多いんです。ですから、あるテントをひとつとっても、いろいろな種類のポールで構成されているわけです。さらにこれまでに販売されたテントは何種類もありますから…パーツは膨大な数になります。あるポールの一部分が壊れたとすると、そのひと節を交換することになりますが、保管してあるたくさんのパーツからそれを選び出さなければならず、すべて頭に入っていなければならないんです」。

コールマンには長年愛用するファンも多い。当然、古い商品の修理依頼も珍しくないだろう。ランタンやツーバーナーなどはかなり前の物でも修理できると聞くが、テントなどはどうなのだろうか。

「1990年代前半くらいは結構きますね。場合によっては80年代のも届くことがあります。でも、そのあたりになると対応できないこともあって、本当に残念なんですが“修理不可”としてお返しすることもあります。パーツがない場合に、在庫のあるポールを切ったり着けたりして対応することは基本的にはありません。というのは、そうやって作ったパーツは耐候試験とか強度試験を通ったわけではないからです」。

プロダクトセンターのメンバーとプライベートキャンプに行った時のワンカット。今ではすっかりキャンプ好き…
プロダクトセンターのメンバーとプライベートキャンプに行った時のワンカット。今ではすっかりキャンプ好き…

「修理できない」とは言いたくない

3年ほどでソフトラインのチームリーダーとなった福島さんは、やがてハードラインのチームリーダーに転任、そして今年の4月、ハード、ソフト両方を管理するリーダーに就いた。ひと言でいえば修理部門全体のマネージメントである。現在、ソフトライン、ハードラインに修理担当者はそれぞれ4名。福島さんを含め、9名でコールマンの修理を担っているという。

「ハードラインには1年ちょっといたのですが、燃焼器はパーツが多くて、細かいので奥が深いですね。電気のランタンなんて、場合によっては基盤をバラして直しますから…。現在の仕事は現場の管理なので数字上の仕事も多くなりました。もちろん繁忙期など、人手が必要な場合には修理作業もします。なんでもやるんですよ。ゴミ捨ても…(笑)。

修理に携わる者としては、できるだけきれいに直したいと思っています。やっぱり、自分がされたら嬉しいことをお客様にもしてあげたいと…。相手の立場になっていろいろ考えたいんです。どうなって、手元に帰ってきたら嬉しいか…ですよね。そして、いろんなことに挑戦してみたいと思っています。現在、塗装が剥げたり…ということには対応していないんですが、リペイントなんかもできたらいいな…と思うことがありますし、燃料タンクの内側が錆びてしまうと目詰まりを繰り返すので現状では完全な修理は難しいんですけど、その錆もどうにかしたいですよね。タンクに穴が開いたケースも溶接とかを含めてなんとかしてあげられないかなと思ってます。基本的に “修理できない”って言いたくない。ですから、最終目標はどんな修理でも引きうける!ですね」。

福島さんがやりがいを感じる瞬間は…と尋ねると、万事慎重な彼の顔がぱっと明るくなって声のトーンが少し高くなった。

「お客様からの御礼のお手紙です。“長く大事に使っていたので、直してくださってありがとうございます”なんて書いてあるんです。そういうことはモチベーションにつながりますよね。コールマンって愛されてるんだな…って心から思います」。

ひと通りの話を終え、撮影のために彼の仕事机を見せてもらおうと移動した時だった。福島さんは思い出したように、朝の光景について語り始めた。

「荷降ろしを見てくださったようですが、私はこのチームワークこそがプロダクトセンターの最大の武器だと信じています。そして、コールマンには、これからも変わらず魅力ある製品を作り、アウトドアを通して人々の笑顔をつくっていく会社であってほしいと思っています」。

それまでの寡黙さが嘘のようになめらかに言葉が流れた。

このチームワークこそが、コールマンの一員としての自慢なのだろう。いや、誇りなのだ…きっと…。

福島さんのお気に入りはパーティーシェード300。さまざまなシーンで活躍するマルチプレーヤーだ
福島さんのお気に入りはパーティーシェード300。さまざまなシーンで活躍するマルチプレーヤーだ
取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住