宮前敬
営業部 西日本エリア マネージャー

このシリーズにはさまざまな部署の方が登場するので、「コールマンにはいろんな仕事があるんだなぁ…」と思われる方も多いのではないだろうか。
そんな中で、ユーザーに近いところで仕事をしているのに接することが少ない存在のひとつが営業職。私たちが手にしている商品の数々は、その人々によって販売ルートが整えられ、プレゼンテーション、受発注、デリバリーを経て店頭に並ぶ。
今回お話を聞いた宮前敬さんもそんなひとり。優しそうな二重まぶたが印象的な48歳だ。
水泳とサーフィンに明け暮れた十代
1967年千葉県市川市生まれ。東京都と千葉県の境を流れる江戸川を見下ろす国府台の高台で育った。今では大学や高校の並ぶ文教地区だが、当時はウサギも姿を見せる自然豊かな地。そこには東京近郊とは思えない風景が広がっていた。
「近所の森の中で遊んでました。木から木に渡ったり。太い樹に雷が落ちると翌日ぶっ倒れてるんですよ。それを見るのが楽しみでね…。雪が降ればキジやウサギの足跡がいっぱいありました。蛇も普通にいましたしね」
しかし、両親が商売をしていたこともあって、家族キャンプなどのアウトドアレジャーとは縁がなかったという。水泳が好きだった彼は、その縁で中学時代からサーフィンに興味を持つようになるが、それはキャンプへの道も開いてくれたのだった。
「サーフィンの先輩たちがキャンプに連れていってくれたんです。千葉の夷隅とか片貝海岸とか…。最初は一ノ宮海岸近くの森の中で、自然の中に放り出された感じでしたね。ホントに寝られるのか…なんて心配したりして。サーフィンがメインでしたから、いちばん嬉しかったのは海への往復が省けたことでした。起きたら目の前が海ですぐ波に乗れるという…」
アメリカという国、そして文化に直に触れたのは大学時代だった。錦糸町の喫茶店でアルバイトをしていたことがきっかけになったという。
「3年半バイトしてたんですが、そこのママがロサンゼルスで長く生活していた方で、卒業旅行にそこを提供してくれました。20日ほど滞在したんですが楽しかったです。アメリカの印象は、とにかくすべてが明るいってことですね。サーファーも “どこから来た?”ってフレンドリーで明るかったし。クルマ文化も実感しました。
そうそう…美容院で髪の毛を切ってもらった時、とっても美人の美容師さんで、どんなふうに切ってもらえるのかな…と期待満々だったんですけど、意外に雑で乱暴で…(笑)。きれいな指してるのにね。やっぱり日本人って繊細なんだなって思いました」

卓越した営業センスと地道な努力
大学を出た宮前さんが選んだのは、ジャガー、シトロエン、サーブ、プジョーなど輸入車を扱う自動車リース会社。ここで営業の世界を知ることになる。その仕事でキャンピングガスの社長と出会い、26歳のとき、彼の誘いでキャンピングガスへ転職する。
「そういう遊び道具があることも知らなかったんです。でも、物やサービスを売るという営業という仕事は変わらないですからね」
商材が何であれモノを売ることに変わりはない…まず自分自身を売り込み信じてもらうこと…。世間でカリスマと呼ばれる営業マンの多くが口にする言葉である。二十代半ばですでにその境地にたどり着いていたとは、宮前さんの営業センスに驚かされるばかりだ。
その後、キャンピングガスがコールマングループの一員となり、彼も1996年10月に入社した。以来、20年間営業一筋。
「それしかできませんからね…」と照れ笑いするが、そこには仕事への誇りと喜びが漂っている。
入社時のコールマンの印象を尋ねると、これまでに登場した営業の人々と同じことを指摘した。
「外資系というのは意識しましたね。普通(外資系といえば)隣に座っている人が何をしているのか分からない…みたいなイメージってあるじゃないですか。個人主義的な…。コールマンではそんなことは全然なくって、いろいろ親切に教えてくれました。でも、ギラギラ感っていうんでしょうか…熱血で戦う集団って雰囲気はありましたよね」
営業活動を通してコールマンというブランドの大きさを知ったと語る宮前さん。これも、第16回で登場した市川泰三さんが同じことを口にしていた。
「コールマンでの仕事は仕事のボリューム感がそれまでとまったく違いました。ひしひしと感じたのは、取引先で出てくる担当者の違いです。私は量販店担当でしたが、それまでは会ってもらえなかったような上の方が応対してくださるんです。一生懸命資料を作って企画を練って、半年かけてやっと…みたいだったのが、電話のアポで会っていただける。すごいなぁ…と思いましたし、責任を感じました。失敗がなかったわけではないんですが、打たれ慣れているんでしょうね。そんなに大きな壁と思ったことはないですよ。いいメンバーが揃っていたんで乗り越えられたんです」
これまでの実績や評価は、誠実で地道な努力の積み重ねの結果だろう。仕事のモットーは?と尋ねても、しばし黙り込んだ後にていねいに言葉を絞り出す。
「とにかくこちらから出て行くようにしましたね。営業だから当たり前かもしれませんが…。それと、言葉で伝えるのが得意じゃないものですから、打合せの際に議題のようなものをあらかじめまとめて持参しました。そうすれば、想いがきちんと伝わるだけでなく、担当の方も打合せの結果を上司に報告しやすいと思うんですよ。今日、コールマンとこういう話をしました…ってね」
宮前さんは“人”を大切にする。相手とどう向き合うか、相手の力をどう引き出すか。そこに全力でぶつかっていくのである。どんな時に喜びを感じますか?という問いへの答えに、そんな想いがにじんでいた。
「う~ん…お得意先と目線が合って、共通の目標が達成できた時じゃないでしょうか。嬉しいですよ。目線が合ってない時って、どんなにあがいてもお互い疲れるだけですし、結果につながらないですからね。すべてはお互いを尊重することから始まるんです。
部下や同僚を見ていてよく感じるのは、できる営業マンとそうでない人との違いはここにあると思うんです。仕事ができる人は最初にきちんと目標を提示するんですよ。 “○年後にこうしませんか?”って具体的な数字を出して、それに向かって一緒に努力しようと持ちかけるわけです。乗ってもらえれば、お互いにどんどん提案が出てきて、ズレがなくなります。そうやって進んでいってる時って気持ちいいですよ(笑)。まぁ、これはコールマンという看板があるからできることなのかもしれませんが…」

普段の生活にキャンプ用品を…
営業は、バイヤーや販売員というエンドユーザーからの情報が集積する人々と接し、市場の動向を敏感に感じられる職種でもある。そのフィードバックが開発に活かされることも多い。
「営業本部が窓口になって、営業からマーケティングへの提案とか情報提供をしていますね。私が関わったのも稀にありますよ(笑)。ピクニックベンチセットっていうんですけど、アルミ製のテーブルとチェアのオールインワンで、“何か改善策がないか?”って聞かれたので、“チェアにカバーを付けたらどう?”って言ったんですよ。アルミの冷たさや硬さが気にならなくなるし…。そうしたら、宮前さん、たまにはいいこと言うね…って褒められました。たまにですよ…たまに(笑)」
現在は大阪を拠点として活動する毎日。今年3万人超の来場者を記録して話題となったコールマンアウトドアリゾートパークOSAKAを率いる立場にもあった。
「西の責任者でしたから、もう…プレッシャーがね。とにかく人を集めなきゃって必死でした。いつも食べてる心斎橋のレストランで案内を配りまくったりね。成功してよかったです。(来場者が)東京会場を上回りましたけど、関西圏はキャンプ用品より、山(登山)用品のお店が多いんです。だから、キャンプ用品を見る機会が少なくて、実際に見るのを楽しみにしている方が多かったのかもしれません」
話を終え、締めくくろうとした時、宮前さんが写真を1枚取り出した。そこにはコールマンのチェアに座る少女がふたり…。
「今、大阪と千葉を行き来する生活なので、家族とゆっくり過ごすことがなかなかできないんですが、ちょっと前に家族で花火大会へ出かけた時、コールマンのちっちゃなチェアを持っていったんです。そうしたら、娘ふたりでもう取り合いになるくらい人気で。アウトドア用品って聞くとちょっとハードルが高い感じがするんですけど、普通の生活でも気軽に便利に使ってもらえたら…って思いますね。
私だってキャンプ道具を押入れの半分くらい買っちゃうわけですよ。カミさんにも“どんだけ買えば気が済むの?”って言われちゃう。でも彼女もだんだん考えるようになりましてね。普段使いできるような物は、押入れの手前のほうに出しておくようになったんです。来客が多かったり、娘の友達がズラリと来た時は、すぐにテーブルとかチェアを出せるように…。欧米では、キャンプ用品って特別な存在ではなくて日常品なんですよ。日本でもそうなってほしいですよね」
コールマンがもっと身近な存在になってほしい…温かみのあるブランドの目標を口にして宮前さんは席を立った。気がつけば、私も彼と一緒にその目標を追いたいような想いになっている。
さすが営業のプロ。
楽しい夢をいただきました。


取材と文
三浦修
みうらしゅう
コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。
1960年生まれ。千葉県市川市在住