羽田聡

オペレーションマネージメント本部 製品保証課係長

羽田聡
アメリカっぽい“モノ”が好き…と語る羽田さん。湘南住まいで毎朝の波乗りが日課とか

「コールマンを創る人々」で、話を聞くことができたのはこれまでに3人。商品の企画や営業業務など、まさにコールマンを最前線で支える面々だった。仕事の内容も、経歴も、年齢も異なっていたが、その誰もがキャンプという遊びへの情熱に満ちていた。

今回お訪ねしたのは羽田聡さん。秋の装いで着膨れしている私に対して、涼しげな短髪で颯爽と現れた彼は、室内とはいえTシャツ1枚に洒落たペンダントという軽装。厚い胸板とよく通る声が印象的な43歳だ。

サーフィンを愛する湘南の住人

そのフラットでナチュラルな雰囲気に、なんだか大海原みたいな人だな…と気圧されていると、同席の広報の方が「見てのとおり、羽田はサーフィンが好きなんですよ」と微笑んだ。シーズンには、現在住んでいる湘南の海で毎朝波に乗ってから出社するのだという。  「4時過ぎに起きれば2時間くらい楽しめますからね」。この日のインタビューはそんなサーフィン話で幕を開けた。

羽田さんのアウトドアとの接点はご両親。横浜の都会っ子だった彼は、登山好きな両親に連れられて山々を歩くようになる。それはごく自然で幸福なエントリーだった。

「登山と言っても山岳テントを背負って…というようなものではなくて、山小屋泊まりの楽しいものでした。中学から大学くらいは北アルプスなどいろいろな日本の山を登りましたよ。ですから、自然はすごく好きでした。でも、キャンプはしてなかったですね」。

無類の”モノ好き”が見せた離れ業

キャンプとの出会いは、前職の自動車メーカー時代。1990年代初頭、日本列島が空前のアウトドアブームに沸いていた頃の話だ。

「自動車会社の営業をしていたんですけど、アウトドアブームが来て、そこで扱っていたビッグホーンっていうオフロード系の車に乗ることになったんです。そういう車を持ってたら、当然、キャンプでもやってみようかな?と思うわけですよ。で、その車でパシフィコ横浜に乗りつけて、開催していたアウトドア用品のバーゲンで一式揃えちゃったんです。そのときコールマンのツーバーナーも買ったんですね」。23歳。社会人として踏み出したばかりだった。

サーフィンやスノーボードの雑誌が並ぶ仕事机。横乗り系は興味なかったんだけどな…と笑った
サーフィンやスノーボードの雑誌が並ぶ仕事机。横乗り系は興味なかったんだけどな…と笑った

「僕はね、基本的にモノが好きなんですね。だからなんでもモノや形から入らないと気がすまない。スノーボードを始めた時も、最初に店に飛び込んで一式揃えてしまいました」。そう言って照れくさそうに笑うが、結果として、この"モノ好き"が、後々の仕事に大きな影響を与えていくことになるのである。

 

「初めてのキャンプは丹沢だったんですけど、超大雨で、条件は最悪だったんですね。テントは他メーカーのもので、縫い目のシールとか全然施されていない商品だったので、縫い目から水がボタボタ入ってきて、テントの中がびしょびしょです。もうどうしようもなかった…」。キャンプ初体験に天は味方をしてくれなかった。しかし、ここで両親が導いてくれた山歩きの経験が、彼をこの世界に留まらせることになる。

「でも楽しかったですねぇ。ホント、めちゃめちゃ楽しかった。なんか非日常ですよね。キャンプって。なんで、ここでこんな面倒くさい料理なんてやってんだろう…なんて思いながら、でも楽しい(笑)。おままごとの大人版みたいな感じですよ」。

"大雨でテントの中は洪水でしょ?"と突っ込むと、嬉しそうに笑った。

「でもね、ちゃんとしたカッパの上下を着れば雨も楽しいもんですよ。きっと、登山をやってたということが大きいと思うんですね。だって、登山だったら雨降りなんて普通にあるし、自分が歩いてる所よりも下の方で雷が鳴ってたりする世界でしょ。キャンプの雨なんて全然…」。

その後、夏冬関係なしにキャンプを楽しむようになった羽田さんはある日、求人誌でコールマンの名を目にすることになる。

「たまたま求人誌に出てたんです。コールマンがね。こりゃ受けるしかない!って思って。でも、落ちたんですよ。その時は100人受けて受かったのはひとりだけ」。そして彼は思い切った行動に出た。

「で、電話したんです。もう1回会ってくれませんか?それでもダメなら諦めますって…。そうしたら、今度は社長も出てきてね(笑)。やってみるか?って採ってもらえました」。こうして、羽田さんは100人に1人を2人にするという離れ業をやって見せたのである。

当時、コールマンジャパンは、アウトドア用品専門店から郊外の量販店へと、ビジネスの舞台を拡大させていた。そんな時期に入社した彼は営業業務を経験し、顧客サポートを担当するカスタマーサービスへと活動の場を移していく。

時代が求めた企業の社会的責任

かつて世間の話題をさらったPL法の例を挙げるまでもなく、近年、商品製造者の責任が重く問われるようになってきた。商品のあらゆる要素において、社会的な責任と義務を問われる風潮になったのである。カスタマーサービスを経た羽田さんが、現在在籍するのは製品保証課。まさにそんな社会の要請と企業としての義務から生まれてきた部署だ。

「ただ作って売るということでは社会的に許されない時代になりつつあったんですね。これは社会が必要としたから生まれた仕事なんです」。

高度経済成長を経て、時代は安定と成熟へ。あらゆる業種で、同じように社会的責任への対応が模索されていた。

「僕が入社した頃は、営業マンひとりひとりが、お客様からのクレームとか要望の対応窓口でもあったわけです。修理だって営業がやっていましたから。でも、そういう範囲内では収まらなくなってきたんですね」。

特に、野外で使用されるキャンプ用品はユーザーの身の安全を左右する可能性もあり、こういった時代の変化に速やかに対応する必要があったのである。

「私たちの商品でいえば、真っ先にテーマとなったのが強度ですね。テントであれば、撥水、防水性能なども重要な要素です。ツーバーナーなど火を使う商品も安全が絶対条件。イスだって部材が弱くて壊れたら座った人がけがをするかもしれない。そういったことに関して、きちっとしたデータや充分な検証を積み上げた上で商品にし、お客さんにお届けしなければならない時代になってきたわけです」。

プロダクトマネージャーとの二人三脚

そこで、必要な知識や経験を持った担当者を集めて専門の部署が作られることになる。

「私たちの主な業務は、その商品のスペック自体が、世の中に販売していい基準を満たしているのか…といったことから、法律に照らした場合どうなのかという部分まで、調べ、テストし、検証することです。現在は3名で、コールマンのほぼ全ての商品を担当しています」。

その過程は、「コールマンを創る人々」の第1回で登場した竹島哲也さんたち、プロダクトマネージャーとの共同作業となる。コンセプトやニーズ、機能、デザインなどから商品を生み出してくのがプロダクトマネージャーだとすれば、同じ流れを、素材、安全性、社会的な検証という側面から検証していくのが羽田さんの部署だ。しかし、その業務は企画だけではなく製造の現場にも及んでいく。

パーテーションには真夏と真冬が同居していた。この空間から送り出される品々が私たちを楽しませてくれる
パーテーションには真夏と真冬が同居していた。この空間から送り出される品々が私たちを楽しませてくれる

「僕は商品に意地悪でありたい・・・」

羽田さんの仕事は、言いかえれば、これから送り出す商品にあらゆる角度から疑問を投げかけることでもある。

「僕は意地悪ですよ。ホントに。自分に甘く作ったら絶対にしっぺ返しがきますから。でも、意地悪になればなるほど、仕事の上では、やることが増えて自分の首を絞めるんですけどね」。

そう言って豪快に笑った。しかし、企画からデザイン…と商品を暖め、進めてきたプロダクトマネージャーとぶつかることにはならないのだろうか。

「それはありますよ。うるさい部署だと思ってるでしょうけどね。でも、これがなければいい商品ができないってこともよく分かってくれてると思います」。

インタビューは2時間近くになっていた。そろそろ話をまとめようと思い、やりがいはどんな時に感じますか?と尋ねてみる。すると、彼らの業務がさらに広範囲に及んでいることを知らされ、話はさらに深みへと進んでいった。

「そうですね…。商品が完成すると工場を出荷する段階で検品し、こっちに来てからも再度検品するんですが、そこで不良品としてチェックされる数が減ってくると、手ごたえを感じます」。

つまり、商品の歩留まり向上も彼らの工程管理に委ねられているのである。

コールマンが大好きでこの道に進んだ。だからこそ、商品には意地悪でありたい…という
コールマンが大好きでこの道に進んだ。だからこそ、商品には意地悪でありたい…という

結果として、製品保証課のチームは、商品の企画から製造管理、そしてフォローと、商品製造のほとんどの過程に何らかの形で絡んでいたわけだ。

"モノが好きなんですよ…"。羽田さんの言葉が頭を過ぎった。そうでなければ、とても務まるものではない。

そんな彼に、仕事に取り組む際の心がけを問いかけてみた。

「どんなことでも、課題に直面したら必ず自分が使う立場、ユーザーだったらどうだろうって考えるんですよ」。

それは、彼自身のコールマンブランドへの想いにも通じる実に素朴で誠実な言葉だった。

「やっぱり、好きでこの会社に入りましたからね。僕が外部のファンだった頃にコールマンに抱いていた感情、アメリカっぽくてかっこよくって…というあのイメージを今のお客さんにも持ってほしい…と思うんです。そして、そんなブランドであり続けたいと思っています」。

今や、作り手としてコールマンの商品を支える立場となった羽田さんだが、彼の毎日を支えているのは、自分がファンでありユーザーだった頃の想いや感覚だった。帰宅後、あらためて自分のコールマンたちを眺めてみた。長年の付き合いで傷だらけになったもの、薄汚れて色褪せたもの、凹んだり焦げたもの…しかし、そのどれもがばりばりの現役で、引退なんてどこ吹く風といった顔をしている。

やはり、"意地悪な"羽田さんに鍛え抜かれた道具たちはただものではないのである。

商品のチェックは納得のゆくまで徹底的に行なわれる。「ユーザーの立場になって…」と羽田さん
商品のチェックは納得のゆくまで徹底的に行なわれる。「ユーザーの立場になって…」と羽田さん
取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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