芦垣和雄

オペレーションマネジメント本部 サプライチェーンマネジメントグループ ロジスティクス課 課長代理

芦垣和雄
黒子の美学…芦垣さんは、そんな言葉が似合うナイスガイだ

今年も夏休み到来。先日立ち寄ったキャンプ場も、色とりどりのテントやタープで埋め尽くされていた。

そのひとつひとつに企画や開発した人がいて、製造に携わった人もいれば、熱心に売り込む営業マンもいる…そんなことに想いを馳せながら、今回のゲストを待った。

やがて現れたのは芦垣和雄さん。サプライチェーンのまとめ役で、言わば物流のプロだ。どんなにいい商品が作られても、どんなにたくさんの注文が入っても、その間を商品が運ばれなければ私たちの手に届くことはない。この一見当たり前の出来事が今回のテーマ。当たり前って実はすごいことなんです。

横浜市生まれの芦垣さんは現在46歳。優しい笑顔が印象的だ。

毎週日曜日はラジオの日?

「アウトドアっていうと、小学校時代、釣りに行ってましたね。実家が商売やってたんで、両親とどこかに出かけるってことはなかったんです。唯一、私と十歳離れた兄が釣りに連れていってくれました。近所の池でクチボソっていう小さな魚を釣るんです。アカムシを付けて釣るんですけど、楽しかったですねぇ。あの感覚…」。

キャンプとの出会いも同じ頃。子ども達の足だった自転車が縁結びをしてくれた。

「近所で交通少年団っていうのがありましてね。全国で初めてだったらしいんですけど、自転車の免許を交付してくれて、キャンプに行ったり、自転車以外にもいろいろ活動していたんです。それでキャンプも好きになっていきました」。

芦垣さんは、最初にキャンプに行った時の感動を今も鮮やかに覚えているという。

「食事が美味しかったこと………それと星の美しさですね。横浜では見たこともないような満天の星空です。房総に来るだけでこんなにきれいなんだ…と感激しました。そして真っ暗な海の沖のほうにイカ釣り船の灯が光っていたんです。すべてが初めての体験でした」。

やがて高校時代にバイクの楽しさを知り、生活の柱になっていった。

「釣りやキャンプ、バイクも好きですが、実はもうひとつ趣味があるんですよ。ラジオ番組への投稿(笑)。中学校の頃から聞いてはいたんですけどね。大学時代に投稿して、ハマっちゃったんですね。雑誌にも投稿して懸賞金もらったりもしてたんですけど。採用されたという喜びと、自分の身の回りで起こった出来事が紹介されるという満足感ですね。今でも、毎週日曜日はラジオの日と決めていまして。朝の7時から12時まで聞いているんです。さすがに丸1日聞いてたら家族から怒られちゃいますからね。前は一週間おきに採用されたり、ラジオのレポーターが家まで来てくれたこともありました。そんな時は家内も息子もワーワー騒いでましたよ。

もともとは、商売をやってた父親が配達の時によくクルマに乗せてくれたことが発端なんです。普段どこにも連れていけなかったので、その代わりのつもりだったんでしょうけど、車の中でいつもラジオを聞いていたんですよ」。

中学時代、房総半島の根本キャンプ場でキャンプの楽しさを知ったという
中学時代、房総半島の根本キャンプ場でキャンプの楽しさを知ったという

物流のダイナミックさに心を奪われて…

大学を卒業した芦垣さんが扉を叩いたのはコンピュータ業界だった。

「大学があった愛知でコンピューター専門学校の企画営業に就いたんですよね。これからはコンピュータの時代だと思ったんです。でも、自分は営業向きじゃないと気づき4ヵ月くらいで辞めまして、飲料関係の会社に移りました」。

そこで彼は物流という仕事と出会い、その醍醐味を知る。

「物の流れって、なんてダイナミックなんだろうって思いました。その会社では、ブラジルからジュースを輸入していました。港にパイプラインが走っていまして、そこにタンカーみたいな1万トンクラスの大きな船が入ってきて、パイプラインを使って倉庫に送っていくんです。船倉がいくつにも分かれていて、サイズ以外は石油タンカーとほとんど同じです。ここで、物流っていうのは川の流れのようにならなければならない。塞き止めちゃいけないということを知りました。止まっていいのはお客さまのところに着いたときですね」。

4年後、芦垣さんは地元の横浜に戻る。コンピュータ業界が右肩上がりの時代だった。それを察した彼は、アメリカ系のコンピュータ会社に転職したのである。

「ペンティアムⅡがどうしたとか…コンピュータ界の技術革新が起こっていました。これからはコンピュータが世の中をリードする…前の仕事で身につけたコンピュータの知識や技術をもっと伸ばしたいと思ったんです。そこではエンジニア的な仕事もありましたが、担当は物流のオペレーションです」。

ここで、それまでに蓄えた物流の経験とコンピュータの知識が開花する。時代も彼を後押ししていた。その時に、たまたまコールマンが物流部門で募集をしていたんです。そこには“国内物流”と書かれていまして、興味を持ちました…そういえば、キャンプやってた頃にコールマンを使ってたもんな…と。とりあえず応募してみようかなと。

物流という仕事はいろいろな意味でタフさを求められる。すでにその修羅場をくぐっていた芦垣さんは、実に魅力的な存在だったのだろう。

芦垣さんが長年愛用してきたフェザーランタン。愛車と共に各地を旅したのだろう
芦垣さんが長年愛用してきたフェザーランタン。愛車と共に各地を旅したのだろう

コールマンに物流専門部署を創るという仕事

コールマンジャパンが社内に物流部門を作るのはこの時が初めてだった。国内での取り扱い量がどんどん増えていて、専門の部署を作ろうということになったわけである。

「最初は混乱ですよ。なぜかっていえば、前の会社もその前も、物流といっても現場仕事が多かったんです。倉庫で現場監督っていうか、リーダー的に仕切ってましたから。出荷オペレーションにしても、アルバイトを集めて指示を出して佐川急便を呼んで…。必要があれば、自分も現場に入ってラインの手伝いをしたり、フォークリフトも運転しましたし。毎日が肉体労働系だったんです。

でも、コールマンに来たら、同じ物流といってもそうではありませんでした(笑)。現場から一歩下がって、流れ全体を眺め、指示を出していく…管理していくという立場だったんですね。現場ではなく事務所で管理していて、現場に出るのはせいぜい週に2,3回。その温度差に戸惑いました。それまでがアルバイト達と顔を突き合わせて仕事を進めていたのが、今度はコールマンのひとりとして協力会社に指示を出すという形になったんです。言い換えれば、人対人の関係から、会社対会社になったということなんですね。

これは難しいなぁ…と思いました。コールマンの意向や自分の意思を、どうやって協力会社さんに伝え、理解してもらえばいいんだろう。今までのように、自分で現場に入って実際に作業しているひとりひとりに指示を出すわけにはいかないんですからね。すべて案中模索でした。

その一方で、ちょっとした期待もあったんです。こりゃ、自分がうまくやれれば今までよりもっと効率化を図れるんじゃないかな…って。物流的に改善できるところが結構あって、お客様に喜んでもらえるんじゃないかな…って」。

混乱と模索の中で始まったコールマンでの新たな歩み。しかし、ここでも実に彼らしい方法で道を切り開いていった。

「やっぱり現場をよく知らなくっちゃいけないと思ったんです。で、現場に足を運んでコミュニケーションをとることにしました。でも、今までのような接し方ではたぶん通用しないはずだ…と漠然と思っていたんです。対会社、対組織ですからね。前の “俺についてこい!”みたいな感じではだめ。コールマンの物流に対する姿勢、考え方をきちんと理解した上で、取り組んでもらわないといけないわけですから…。最初の3年、いや5年くらいは、自分の努力が足りないのかな…と自問自答する毎日でした」。

コールマンの倉庫の扉に貼ってあるシート。彼の熱い想いが込められている
コールマンの倉庫の扉に貼ってあるシート。彼の熱い想いが込められている

商品の流れはよどみなく川のように

彼の仕事は物流。製造された商品を予定通りに届ける…言葉で表現すると呆気ないのだが、それを完遂するのは大きな労苦を伴う。

「そうですね。大雑把にいえば、営業がとってきた注文の品をお客様に届けるまで、よどみなく流すことです。今では通関のほうも見ていますので海外の港を出たところから…ってことになりますかね。物流を川と考えれば、川上と言われるのがデマンドの部隊で、その舵取りをしているのが、以前このコーナーに出た今井君なんです。彼らが市場を分析、予測し、発注量などを決め、物の流れが始まるんですが、工場から出荷され、船などに乗って、倉庫、お客様へと移動していくわけです。その間をきちっと管理して、欠品しないようにするのがいちばん重要視されていることで、私たちの仕事です。

デマンドの担当者が一生懸命予測して発注量を決め、出荷した以上、今度は私たちが何が何でも流れを止めちゃいけないし、できるだけスムースによどみなく、予定通りに進めなければならないんです。急ぎのアイテムであれば、四六時中、情報を張り巡らせ、ありとあらゆる可能性を探っておいて、どんな状況にも対応できる準備をしておきます。天候などで予定より遅くなっているような商品があれば、それをリカバリーする手段を講じておきます。また、品薄になりがちな商品にも目を光らせて、対応できるようにしておきます。すべての商品において厳しく目を光らせていなければならないんです」。

その言葉には、企画開発、営業やデマンド部隊に至るまで、彼の川上にいる人々の努力を絶対に無駄にしないという強い決意がにじんでいた。

「大学時代ホテルのレストランでバイトしてたんですけどね。その時、コミュニケーションの大切さやお客様との接し方、相手の立場になってサービスを提供するという基本姿勢を学びました。物流という仕事も、サービスの提供なんです。普通に考えれば、通常の形で届いて当たり前じゃないですか。でも、その当たり前のことが実はサービスなんですね。そこに上乗せしていくためにどうしたらいいのか…早く、正確に、最高の状態、状況でお客様に届けるには、保管はどうすればいいのか、輸送はどうなればいいのか…受け取るお客様の立場になってすべてのプロセスを考えるのが、コールマンの考える物流であり、サービスなんです。

ただ、商品が届くことがゴールじゃありません。それを使って得られる豊かな時間や、楽しいひとときであったり、家族や友達の絆が大切だと思うんです。そこを物流としてどこまでサポートできるかっていうことだと。普段、ユーザーさんと接することがない裏方ですが、なぜかお客様の笑顔が目に浮かぶんです。自分が物流担当として届けた商品がお手元に届いたときのようすが想像できるんです。あぁ、これで楽しい時間を過ごしていただけるんだな…って思ったり。私たちの仕事は黒子ですから、評価されにくいとは思うんですけどね」。

最後に“ファンの方に何か伝えておきたいことはありますか?”と問いかけてみる。その答えもまた芦垣さんらしいものだった。

「いえ…特にありません。物流って表に出ちゃいけないですからね…」。

実に清々しい“黒子の美学”。物流のプロ、芦垣和雄を貫いているのは12年間ぶれることのないそんな物流マンの信念なのである。

取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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