赤池佳名子

営業本部 営業戦略室 主任

赤池佳名子
まさに縁の下の力持ち…。この笑顔とさりげない心遣いが営業部隊を応援する

近年、テレビや新聞の外交記事で、「後方支援」という言葉を目にすることが多くなった。しかし、それはビジネスの最前線でも不可欠な要素。営業マンが業務に専念し、取引をスムースに進めることができる環境を整えられるか否かが、成果を大きく左右する。ちょっと堅苦しいオープニングになってしまったけれど、今回のゲスト、赤池佳名子さんは、まさにそのスペシャリストだ。誰かを支えることに喜びを感じる…と語る彼女だが、そのルーツは中学生時代のクラブ活動にあった。

キャンプとの出会いは小学生時代

赤池さんは静岡県浜松市生まれ。家から自転車で30分ほどに天竜川の支流があって、小学校の夏にはよく遊んだという。キャンプとの出会いもこの頃だった。

「小学校の頃、お盆は家族でキャンプでした。食事はいつもカレーで、飯盒でご飯を炊くんです。父が棒を当てて音を聞くんですけど、真似しても全然分からない(笑)。炊きあがったらひっくり返して、トントン叩いていたのを覚えています。大雨が降ったことがあって、やることがないからテントの中で、弟とテレビの通販番組の歌を口ずさんでいたんですが、 “このテント、その通販で買ったんだからやめて!”と、母に怒られたりしました(笑)。でも、キャンプは楽しかったですね。お友達も誘ったりして…」

通っていた教会の日曜学校でもキャンプイベントがあり、キャンプは、幼い日の赤池さんにたくさんの楽しい思い出を作ってくれた。

「外遊びは好きでしたけど、家の中でじっと本を読むのも大好きでした。あんまり自分から遊びに行こう!と誰かを誘うタイプではなくて、そんなに積極的な子どもでもなかったんです」

東京にある父親の実家に泊まって、ディズニーランドに出かけたのもいい思い出だという。

「父は東京育ちだから、地下鉄とかもスイスイ乗っちゃうんです。でも、私は浜松しか知らないから…バスしか走っていないわけですよ。それも1時間に2本とかで、(乗り物を)乗り継ぐなんてこともなかったし。人ってこんなにいるんだ!ビルってこんなに高いんだ!って、驚きましたよね(笑)」

都会育ちの父親の影響もあって、浜松で生活していても周囲と少し温度差があったと振り返る。

「でもやっぱり、浜松がいちばん落ち着きますよね。今、一生懸命標準語を話そうとしてますけど(笑)、やっぱり言葉が違うので…。地元に帰ると自分の言葉が使えるので言いたいことがきちんと伝わるような気がするんです。だって、18歳で東京に来た時、外国みたいだと思いました。ニュアンスが違うんですよねぇ」

バレーボールで知った“後方支援”の醍醐味

中学に進んだ赤池さんが選んだのはバレーボールで、その理由にも人柄が見え隠れする。

「小学校で金管バンド部に入ってたんです。その時の友達がバレー部に入ったので“じゃ、私も!”って流れで…。流されやすいんですよ。通信簿では、いつも“協調性”に二重マルでした(笑)」

バレー選手としては小柄な彼女だが、ここで、今の仕事ぶりにもつながる絶妙のポジションと出会うことになる。

「バレーは楽しかったですね。今で言うところのリベロってポジションで、後ろで(ボールを)拾うのが好きだったんですよ。“どんな球でも拾ってやる!”みたいな…。変なボールでもそれを拾えた時の快感がすごいんです。普通、(バレーをやろうという人は)目立つからフォワードに憧れると思うんですよね。私はフォワードにも、試合を組み立てるセッターにも興味がなくて。リベロは、地味ですけど職人的な部分が向いていたと思います。今でもそういうところはありますね。“通は分かってくれる…、(私がいなかったら)全体が崩れちゃうんだよ”…なんてね(笑)。子どもの頃、学級委員もずっとやらされていたんですけど、あんまりうまくいきませんでした。副委員長は楽しいんですけどね。リーダーシップを持って頑張ってる人を支えていくのが好きなんでしょうね」

バレーボールの魅力は?と尋ねると、満面の笑顔になった。

「つなげることです。自分ひとりでは絶対完結しないところです。1人で打って、1人で拾って、1人で返して…なんてバレーじゃないですから。私の次に絶対誰かがいて、繋いでくれて、それを誰かが決めてくれて…。みんなで1個のボールをつないでいく楽しさです」

大学時代のアルバイトはあの仕事…

そして、東京の大学に進学。父親に「大学に行って遊んでこい!」と言われたのだと笑う。

「吉本とか西のお笑い文化に触れてみたくて、ほんとは関西の大学に行きたかったんです。東京に親戚がいましたから関東の文化には触れていたんですが、関西は全然…。でも、父が東京にしろ…って(笑)。大学では、サークルも入らず、ワイワイガヤガヤ遊んで、バイトに明け暮れてました」

大学生がアルバイト…ごくありふれた話だが、その勤務先が豪快だった。

「新宿歌舞伎町のパチスロ店で働いてました(笑)。時給がよかったんです。沖縄旅行に行きたいと思って…だったらあと何日でこれくらい稼がないと…日割すると1日いくら…って考えていって、そんな金額をくれるところは?って捜したんです。楽しかったですね。フロアを回って、重いコインを運んで汗だくになって…。ギャンブルの場だから、ニコニコと接客する必要がないんですよ。負けてる人には“何、ヘラヘラ笑ってるんだよ!”なんて怒られちゃいますから(笑)。世の中には笑顔を見せなくてもいい、愛想がいらない接客業があるんだ…って、職業の理解の幅が広がりましたね。それに、大学とは違う友達ができたことがよかったです」

卒業後、パソコン教室の講師や自動車会社の営業サポートを経験し、2006年にコールマンジャパンに入社。営業戦略室に配属され、現在までこの道一筋のスペシャリストである。

「募集を見たら、茅場町にあって自宅から近くていいなぁ…と(笑)。父に話したら “お前に向いてるよ。ウチにもランタンあるよ…”と、とても喜んでくれました。入ってみたら、みんなカジュアルで…上下関係がフラットで、こんな会社あるんだ!って。垣根がなくって、言いたいことを言い合えるし…。それまでの職場では、偉い人はひと目で、見た目で分かったんですよ。ここでは最初全然わからなくって(笑)。扱っている商品が人を楽しませるものばかりだし、誰かを楽しませる仕事、人をつなげる仕事っていいなぁ…と思いました」

小さなストレスをひとつずつ減らしてあげたい

彼女の業務はひと口で言えば営業部隊のサポートだが、実に広範囲だ。

「まず、レポーティング業務ですね。営業マンごとの売り上げの管理や、顧客、取引先のデータ、プライスなどの登録作業などです。たとえば、今年、消費税が変わるとしたら、それに伴う情報を取引先に連絡するタイミングを調整したり…。時々、展示会で受け付けもやったりしますが、楽しいですね。普段、社内で接しているのとは違う営業マンの顔が見れますから。家庭と外では顔が違うみたいな…(笑)」

まさに営業の後方支援。バレー選手時代、どんな球でもひとつひとつ丁寧に拾ったように、営業マンが抱えるさまざまな課題やトラブル解消にも取り組んできた。

「営業の業務って、いろいろなやりづらさや、小さなストレスがあったりすると思うんですよ。その積み重ねが結果に影響してしまうので、目に見えないうちに、ひとつでも潰したり、減らしてあげられたら…って。隣の部署の人と連携を進めてみたら、営業がスムースに機能したっていうこともありました。まぁ、目に見える仕事じゃないので、これは私の手柄だよ!っていうことにはならないんですが、営業マンの数字などで成果として現れればいいし、その人が喜んでたら“よかったね!”と思います。もし、ひと言“ありがとね!”って言ってもらえたら、それだけでいいかな…。私は基本、性善説なので、人を信じてみよう…って考えるようにしています。誰だっていい所があるから、できるだけそこを見て支えたいと思っているんですよ。それと、営業っていろいろ個性豊かな人がいます。個性って、長所と短所の組み合わせ、裏表だから、とんがったり凹んだりしている所がそれぞれうまく組み合わさって、大きな丸になったらいいなぁ…って」

控えめに一歩下がって誰かを支える職人気質…赤池さんのそんな素顔が徐々に浮かびあがってきたが、エネルギッシュな一面もあるという。

「負けず嫌いかも…。やってやる!と思うことは時々あります。高校受験で、先生から“お前は6:4で落ちる”って言われたことがあるんですよ。で、悔しくて頑張って受かったんですけど、先生に報告に行ったら“お前は負けず嫌いだからああ言えば頑張ると思った”なんて言われて…。

今もそうかもしれませんね。小学生と保育園の子どもがいて、PTAも通学班もやってて、フルタイムで仕事もしてて……これも“やってやる!”ですよね(笑)。でも、全部自分でやりたくてやってることですから、やるしかないですよね。あぁ、欲張り過ぎちゃったな…って思うこともありますけど(笑)」

今年のGWに赤池家は離島キャンプで新島へ。荷物は宅急便で送り、竹芝桟橋からさるびあ丸の船旅で…
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新島キャンプのワンカット。海を見下ろすキャンプ場は無料だったとか。ちなみに、小学4年生のご子息と保育園のお嬢さんは大のキャンプ好き
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コールマンを連れていって…と微笑んだ

コールマンというブランドへの想いは、これまでこの連載に登場した多くのゲストと同じように、とてもスマートだ。

「コールマンのロゴを見たことのある人は、たくさんいると思うんですよ。息子も、コールマンをよく見るよ!って言ってくれますしね。だから、(キャンプや外遊びを)始めるきっかけになれるブランドかな…と思います。初心者でも使いやすいテントも多いし。そこからいろいろ楽しんで、その後もウチの製品を選んでもらえたらうれしいですけど…道具を使うことが目的ではなくて、それで遊んだり楽しむことが目的なので、いろいろ使ってみて、遊びの幅を広げるのもいいと思います」

入社以来営業サポート一筋の赤池さんだが、トライしてみたい仕事があるという。

「イベントの企画をやってみたいですね。今の仕事はユーザーさんと触れ合う機会がないので…。ユーザーさんと一緒にアメリカに行って、本場でキャンプする…なんて楽しいじゃないですか」

いつものように、最後にひと言…とリクエストすると、少しうつむいて、しばし無言になった。

「そうですね…外で遊ぶとき、コールマンの商品を一緒に連れていってくれたらうれしいかな…」

それを聞いてちょっと胸が熱くなった。彼女は、“持っていって”ではなく、“連れていって”と言ったのである。コールマンのキャンプ用品はツールではなくてパートナーなんですよ…そんな熱い想いが込められたメッセージだった。長年、フロントランナーを支えてきた彼女だが、ブランドへの想いは勝るとも劣らないのである。

赤池さんのお気に入りは、ラギットマルチコンテナーLL
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「チェアやツーバーナーなどの大きなものから食器類などいろんなキャンプ道具が綺麗に収納できて、ご自宅の収納スペースにもぴったり」と赤池さん。現在、3個所有で大活躍
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取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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