山本寛

東京営業所 課長

山本寛
サーフィンとモノが大好きな山本寛さんは湘南生まれの湘南育ち。1993年の入社以来営業一筋に歩んできた

世の男性には、少なからず「モノ好き」という御仁がいらっしゃる。数寄者とか好事家ではなくって、モノ…つまりプロダクト、製品、品物への興味が深い趣味人だ。

今回お会いした山本寛さんもそんなひとり。

モノが好きで、アメリカが好きな人

「私は個人的にプロダクトが好きなんですよ。洋服であったりとか…形があるものが好きなんです。大学時代に地元の友だちが古着屋でバイトを始めて、その影響でもう古着屋巡り(笑)。リーバイスの赤耳の501を捜して地方に遠征したり。デッドストックがないかって…。レッドウイングを買いにアメ横に行ったりもしました。とにかくジージャンとかアメリカモノが大好きで、経年変化を楽しんだり、育てたり…っていうのが好きだったんです。当時はジーパンなんて絶対洗わないで(笑)。だから、DCブランドブームでも、そっちには行かなかったんですね。

2年くらい前にヤフオクで1978年くらいのサーフィン特集のポパイを2、3冊落としたんですよ。記事はもちろんなんですが、広告が面白くてたまらないんです。当時の大きなカセットデッキとかカーステレオとか…。オートリバース装備!なんて書いてあって(笑)。やっぱりモノが好きなんですね」。

そんな感性が、彼をコールマンジャパンへと導くことになる。が、その話の前に少々…。山本さんは昭和42年7月29日、神奈川県片瀬海岸生まれ。コールマン入社後、2007~2009年の3年間大阪営業所長を務めた以外、現在に至るまで神奈川県を暮らしの場としてきた。

「遊び場はやはり目の前の海でしたね。泳ぎはもちろんですが、あのあたりでは早い子は中学生からサーフィンを始めます。ボクは高校からでしたが。海はタダですから、磯遊びなんかも含めてひたすら遊んでました。自転車で10分くらい走ると池があって、普段はザリガニ捕りなんかもやってました。小学校時代(のスポーツ)は剣道とサッカー。剣道はテレビで赤胴鈴之助を見てやりたいな…と思いまして。途中でやめたくなったんですけど、自分で言い出したので中学で初段をとるまで続けましたよ(笑)」。

湘南生まれの少年はサーフィンに恋をした

やがて、高校時代に知ったサーフィンの楽しさがその後の山本さんを支え続けることになる。

「最初に立てた時って、ほんの短い時間だったと思うんですけど、本人にとっては“こんなに長く波の上で立っていられるんだ!”って感動したんですよ。とは言っても、高校の時だってそんなに真剣にやってたわけではないんですけどね。大学時代はずっとライフガードをやってましたので、ロングボードのもっと長いようなレスキューボードにも乗ってました。サーフィンは地元が多かったんですが、ハワイにも行きましたね。波のパワーが違うんですよ。普通は(波が)大きいほうがパワーがあるんですが、ハワイでは小さくても押す力が強いんです。だから、上手くなったような気がするんです。波が押してくれて省エネになりますから(笑)。でもね、日本と比べて、(サーフィンの)ポイントに着くまで倍以上あるんで、もう大変なんですよ。コールマンジャパンにもサーフィン好きがいます。ウチは会社の夏休みっていうのがあんまりないんで、(旅行費用が)安くなる季節に、各自の都合で休みをとるんです。すると、行き先で同僚と一緒になることが結構あるんですよ。で、朝5時くらいから彼らと海に入って、昼くらいからそれぞれ家族と遊びに出かける…」。

そんなアウトドア好きな山本さんだが、キャンプと深い関係になることはなかったようだ。

「高校の時ですね。初めてのキャンプは…。友だち4、5人と出かけたわけです。どえらい雨の中でね。昔の三角テントで、説明書が半分無くなっていたりして、最後はちゃんと(テントが)立ったかどうかもわからないくらい。中に水がどんどん入ってきましてね。飯盒を持っていったんですが、そんなこともできやしない。寝るに寝られないし、ひたすら話をして夜を明かしましたよ。だから、2泊の予定を1泊で切りあげました(笑) いい思い出じゃないんですけど、今になってみれば笑っちゃいますね。それ以降、キャンプをした記憶はないんですが、海でBBQはよくやりました。そこでクーラーボックスを使ってましたが、今考えればコールマンだったんだろうと思います。大学時代には、清里にいい貸別荘があって1週間くらい仲間と遊びに行ったりして。もちろんそこでもBBQを楽しみました」。

キャンプに踏み込んでいくことはなかったし、ブランドとして強く意識することはなかった。しかし、山本さんの暮らしのあちらこちらでコールマンとの関わりが生まれていたのである。

海が大好きな山本さんは、最近息子さんとSUPも楽しんでいるとか…
海が大好きな山本さんは、最近息子さんとSUPも楽しんでいるとか…

やっぱりモノに関わって暮らしたい

やがて、大学を卒業した彼は、損保会社に就職。しかし、1年ほどで離れてしまう。その背景にはメーカーへの強い想いがあった。

「そもそもはアパレルとか、メーカーに行きたかったんですけどね。大学を出て損保会社に入ったんです。モノへの想いを抱えたまま1年ほど働いていたんですが、たまたま新聞でコールマンの求人を見まして…。そういえば、BBQとかで見たことがあったな…と。面接に行って戸惑いましたね。アウトドアショップに並んでいた商品のイメージから、てっきりカジュアルな感じの人が出てくるだろうと思っていたんです。ヒゲをゴソっと生やしたペンションの経営者みたいな…ね。ところが、出てきたのはビシッとスーツ姿の人(笑)」。

こうして1993年に入社。RV車が人気を博し、キャンプブームが日本列島を席巻していた。

「営業所は東京と大阪だけの時代で、社員も全部で35人くらいしかいませんでした。ちょうど、新しいオフィスに移った直後だったんで、パーテーションできっちり仕切られていて、職場がすごくきれいでした。当時は、今のようにプロダクトセンターがなかったので、本社内でランタンなどを直すことも多かったんです。ですから、営業に配属されましたけど、最初の3ヶ月くらいはひたすらそこにいましたね。真夏の暑い日でも点火テストなどをしなければならなかったので、大汗かきながらの毎日です。面接は背広でしたけど“お前はもう背広はいいから…”って言われまして(笑)。修理は楽しかったですよ。でも、下のヤツが入ってこなかったらずっとこれをやらなくっちゃいけないのかな…って思ったりして(笑)」。

損保からレジャー用品へと、まったく畑違いの世界に飛び込んだ山本さんだが、待っていたのは楽しい日々だったと言う。

「まったく別の世界ですが、楽しかったですね。手元に会社の品物がある…それも、大好きなアメリカのモノですよね。それを触っていられるっていうのが楽しくてたまらなかったんです。やがて、営業として担当の店を持つようになった時、自分が売った商品が店頭に並んでいるというのも気持ちよかったです。そうなると、もっと置いてもらおう、もっとお客様に見てもらえるようにしよう…と思えるんですね。

その頃は、アウトドアレジャーを本格的に扱っていないお店も多かったんですよ。ですから、キャンプの楽しさを知ってもらうためにいろいろな所でPR活動をしました。DIYショーとかRVショー、フィッシングショーなどに積極的に出て行きましたが、お客さんがみんな目をキラキラさせて見てました。まだまだ新鮮だったんでしょうね。こんなコンパクトなものが組み立てるとこんなに大きなテントになるんだ!とか。ランタンってこんなに明るいんだ!とか。だから、こっちもやりがいがあったんです」。

山本さんが入社した1993年は、コールマンジャパンにとっても記念すべき年だった。日本で企画されたあのグリーンベージュのテントがデビューしたのである。

「当初は反応がイマイチだったんですね。お店に持って行っても“こんな大きなの売れるかなぁ…”なんて言われちゃって。でも店頭に並んだら爆発的な人気で飛ぶように売れました。だから、その頃の苦労といえば、商品が全部売れちゃって欠品になって、注文が来てもひたすら平謝り…だったことですね。今みたいに大きな生産拠点もなかったので、どうにもならないんですよ。夏の前に倉庫から商品がなくなっちゃうんです。お店から“隠してるんじゃないの?”なんて言われちゃったり(笑)。売りたくても品物がない…っていう嬉しい悩みでした」。

こうして、コールマンが提案する豊かでおおらかなスタイルのキャンプが、日本でも徐々に広がっていった。そして、ブランドの認知度も上がっていくのである。

「業界的にナンバーワンブランドであるということが私たちに大きな力を与えてくれますし、いろいろなシーンでお会いする方が真剣に話を聞いて下さるということにつながっていると思います。だからこそ、その期待を裏切れない…という面もあるんですよね。自分のことよりブランドを優先して考える社員が多いことも誇らしいです」。

山本さんがお気に入りのコールマン商品は?と尋ねると“ガソリンランタンですね”と笑った
山本さんがお気に入りのコールマン商品は?と尋ねると“ガソリンランタンですね”と笑った

新たなアプローチでファンを増やしたい

入社以来、営業業務一筋の山本さんだが、どんな時に歓びややりがいを感じるのだろうか。

「営業ですからね…売り上げを達成した時はもちろんなんですけど…今、自分のチームを持ってまして、通常の流通の他にビームスさんとかユナイテッド・アローズさんとか、他ブランドとのコラボレーションも扱っているんですよ。おかげさまでとても好評なんですが、それを買ってくれるお客さんって、私たちの通常のマーケットには来ていなかった人なんですよ。キャンプはやらないけどアウトドアの道具は好きだ…とか、野外フェスが好きだとか。従来は掘り起こせていなかったそういったニーズを獲得できたということは嬉しいですね。つまり、これまで持っていた流通とはまったく別なプラスアルファのマーケットですからね。

ウチのチームの若い連中に言うんですよ。“新規開拓をする時には、どんなお店に置いてあったら自分が買いたいと思うか…を考えろ”と。コールマンジャパンとしてその店に扱ってもらうかどうかは別として、取っ掛かりとしては、そういう考え方って必要だと思うんです」。

モノが好きでアメリカンな雰囲気が好きな山本さんは、コールマンというブランドにもその薫りを大切に守ってほしいと願っている。

「コールマンには、いつまでもアメリカという国、文化を意識していてほしいと思いますね。日本企画もいいんですけど、アメリカっぽい発想は残していきたい。ゆったりして、解放感のあるMade in U.S.A.っていう部分を前面に出していきたいですね。それがプライオリティだと思っていますから。キャンプの世界って、マーケットとしてはある程度成熟していると思うんですよ。スタイルも細かく分かれてきてますしね。でも、そんな中で全方位を狙っていくのがコールマンだと…。だから、ウチならではの、ちょっと昔の雰囲気の商品なんかも期待値が上がっていくのかな、なんて感じています」。

このところ、2015年のコールマンジャパンはファンを驚かせるような新基軸を準備しているらしい…という話を耳にしていた。彼は、そんな噂を裏づけるようなひと言で、このインタビューを締めくくってくれた。

「コールマンはまだまだたくさんのアイデアを持っていますので、期待していてください。商品だけでなくイベントも…です。とにかくどんどん充実していきます。私自身も期待してるんですけどね」。

別れ際、こういうインタビューはお酒を呑みながらやりたいですね…とイタズラっ子のように微笑んだ山本さん。海を愛する男らしい、爽やかな印象を残して席を立った。

毎年恒例となっている5家族20人でのキャンプ風景。山本さんの明るい笑い声が聞こえてきそう…
毎年恒例となっている5家族20人でのキャンプ風景。山本さんの明るい笑い声が聞こえてきそう…
取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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