山岸未來

オペレーションズマネジメント本部 アカウントサービス部 主任

山岸未來
明るい語り口と仕事への真摯な姿勢が印象的な山岸さん

インタビューの終盤、コールマンの魅力を尋ねると、“人ですね…”と山岸さんは微笑んだ。私たちがこのブランドに触れる時に感じる温かな心地よさの源が何なのかを、このさりげないひと言が教えてくれたような気がする。そして、彼女もその中核を担うひとりなのだった。

幼稚園の名誉園長はジャッキー・チェン

山岸さんは富山生まれ。子ども時代のほとんどを千葉で過ごし、一時期香港でも暮らしたが、富山への想いは深い。

「今でもおばあちゃんが住んでいるんです。いい所ですよねぇ。富山というと“キトキト”で知られてますけど、やっぱりお魚のイメージが強くて、スーパーに行っても魚の品揃えが全然違うんですよ。4歳まで千葉で育ちましたが、親の仕事の都合で2年間くらい香港で暮らしました。まだイギリス領の頃で、キンダースクール(幼稚園)の先生もイギリス人。最初に通ったのが地元のティンカーベル幼稚園で、バッグとかのロゴも妖精なんですよ(笑)。その後、日本人向けの幼稚園ができて移ったんですけど、名誉園長がジャッキー・チェンで、運動会に来てました。親たちは大喜びで写真撮ってもらってましたが、子どもは誰も喜ばなかったですね(笑)」

とても積極的な子どもだったというが、自分の意見をはっきりと伝える欧米文化が色濃い香港での暮らしが影響しているのかもしれない。

「入園式の発表会みたいな催しの(演者を決めるための)オーディションがあったんですよ。そこで歌って(出演を)ゲットしました。すぐ“ハーイ!”って手を挙げて選ばれちゃう子どもで、おじけづくタイプではなかったですね。でも、それは香港に行ったからだと思ってるんです。

2年ほどして日本に帰ってきたら光GENJIが流行っててびっくりしました。男の子がみんなで踊ってて…なんだこれ?と、不思議でした。香港でもレンタルでアニメなどは見ることができましたが、知らなかったんです(笑)」

千葉の自宅は自然に恵まれていた。野外で遊ぶことが大好きだった子ども時代、昆虫やザリガニの飼育に夢中になったという。

「近くの原っぱで、バッタとかコオロギを採ってくるんですけど、虫かごが足りなくなって、牛乳パックをいっぱい並べてました。家がバッタ屋敷でしたよ(笑)。川のザリガニ捕りも好きで、玄関で飼ってたら逃げ出したり…でも、習い事もいろいろやりました。スイミング、新体操、習字、バレエ、公文…長続きしなかったんですけど(笑)」

香港のティンカーベル幼稚園の頃。積極的な子どもだったという
香港のティンカーベル幼稚園の頃。積極的な子どもだったという

興味を持ったらとにかくやってみる

「バレー部は髪を切らなきゃダメ!とか、スポーツ系は理解できないことがあって、中学では、イングリッシュ・アクティビティ・クラブという英語劇の部や美術部に入ってました。でも何となく合わなくて長続きせず、自分たちでクラブを作っちゃえ!と思ったんです。それで先生を引っ張りこんで声優クラブっていうのを作りました。(台本を)読んで、みんなでワッハッハ…って笑ってるだけなんですけどね。

高校で部活を選ぶことになった時、それまでスポーツ系の経験がなかったんですが、袴姿がかっこいいと思って弓道部に入りました。先輩も素敵だったし…(笑)。でも、アルバイトしたくって…遊びたくって、結局2年生の途中で辞めちゃいました。で、ファミレスでバイトしたんです。楽しかったですねぇ。学校とは違う人間関係ができて、大学生の友達もできたし…」

おおらかでマイペースなスクールライフを満喫した山岸さんだが、そこにはご両親の教育方針もあったという。

「やってみたいと思ったことで、親から止められた記憶がないんですよ。それはやっちゃだめ!とか…。だから、今の仕事でも同じなんですけど、食わず嫌いみたいなことはやめよう…と思っていました。(やるかやらないか)悩んでるなら、まずやってみれば?GO!みたいな感じです」

ボディボードに明け暮れた大学時代

大学時代に話が進むと、もうひとつの意外な素顔が見えてくる。何事にも積極的だった子ども時代からは想像できないシャイな一面だ。

「国際社会学科に進みました。サークルは入らなかったですね。勧誘もたくさんあったんですけど…新歓コンパも1度も行かなくて…。友達もなかなかできなかったんです。実は、(人間関係では)自分から行くタイプじゃないんです。それに、見た目から、怖いって思われることが多いんです。だから人と仲よくなるのに時間がかかってたんですよね。4月に入学して、最初の友達ができたのは5月でした。今は子どもができたので、そうでもなくなりましたけど……」

しかし、一見矛盾するふたつの姿が彼女の魅力なのかもしれない。アクセルとブレーキのような絶妙なバランスが、山岸さんのたおやかな雰囲気を醸し出しているような気がする。

さて、大学ではマリンスポーツとアルバイトに明け暮れたというが、ここでも彼女のアクティブな姿が垣間見える。

「ずっとサーフィンがしたかったんですよ。でも、きっかけがなくて…。まず友達とボディボードを始めました。授業がない日や週末は、自分のクルマで九十九里に行ってましたね。

実は自動車通学していて、そのために親にプレゼンしたんですよ(笑)。通学の定期代が結構高かったんですけど、在学中はその交通費をローンに回してほしい…ガソリン代やメンテナンスは自分で払うから…と。そうしたら、いいよって、案外あっさりと認めてくれました。それで軽自動車を手に入れて、友達と女2人で海に通ってました。でも、ボディボードより、往復の車中のおしゃべりが楽しかったのかもしれません」

結局、憧れのサーフィンデビューは社会人になってからだった。スクールに入って本格的に学んだという。

「サーフィンで1度怖い想いをしたことがあって…。伊豆に行った時なんですけど、九十九里に比べて波が強いんですよ。で、波に巻かれちゃって、(サーフボードの)フィンが顔に当たったんです。痛っ!って思いながら岸に上がったら、ほかのサーファーのお兄さん達がこっちをやたら見てるんです。“血が出てるよ”って言われて…。なにか温かいのが流れてるとは思ったんですけど、ライフセーバーの所に連れて行ってもらったらパックリ割れてました。その傷は今でも残っています」

ボディボードからサーフィンへ…大好きなマリンスポーツは入社後も続いた
ボディボードからサーフィンへ…大好きなマリンスポーツは入社後も続いた

営業の面白さに目覚めた二十代

「就職するにあたって、普通の仕事を選びたくなかったんですね。ちょっと変わったのを捜して、いくつか受けてみたんですけど、その中に大手自動車会社のショウルームのお姉さんの募集があって、面白そうだな…と。私は純粋にクルマが好きで受けたんですが、行ってみたら、会場に来てるのは女子アナとかCA志望とか…そんな人ばっかりだったんです。就職試験だというのに首にスカーフを巻いていたり…カルチャーショックでしたね(笑)。でも、書類選考、面接とも通ったんですよ。筆記で落ちたんですけどね(笑)。

それで、大手不動産広告会社系のルート営業に就きました。フレンドリーな会社で、先輩にも可愛がってもらえて楽しかったです。毎日、ひたすら足を使って回りました。飛び込みもありましたけど、女性なので門前払いはそんなにありません。お茶を出してくれて、繰り返し訪ねて世間話をしているうちに、“じゃぁ…”と仕事につながっていくんです。ノルマを達成できなかったことは1度もありませんでした」

私、運がいいんですよね…タイミングで生きてるんです…と山岸さんは笑う。しかし、深夜12時もいとわない仕事ぶりや、ひたむきな営業活動を聞くと、努力を惜しまない姿が浮かび上がってくる。社内の新人賞も手にしたという営業生活は3年に及んだ。その後、IT関連会社を経て、2008年コールマンの一員となる。

「私にとって、コールマンはイスのイメージでした(笑)。クーラーでもランタンでもなくって…ファニチャーです。面接の時、ラフな感じでいいなぁ…って思ったんですよ。で、その時、オフィスを見学させてもらったら、ブースが広くて、パーテーションがあって、外資っぽいって気に入ったんです。働いてみたら、“フレンドリーだな…”と思いました。そして、みんなブランド愛がすごいなぁ…と感じましたね」

頭の中には、いつも共に仕事をする仲間のことがあるという。これは営業本部時代のワンカット。見ると初心に帰れる一枚だそう
頭の中には、いつも共に仕事をする仲間のことがあるという。これは営業本部時代のワンカット。見ると初心に帰れる一枚だそう

コールマンの魅力はブランドを支えるすべての人…

山岸さんが配属されたのは営業本部で、担当したのは営業マンのサポート業務だった。

「本格的な事務職って初めてだったんですよ。だから覚えなければならないことばっかりで…」

しかし、ここでかつて営業の最前線を駆け巡った経験が活きることになる。

「私は、元々が営業マンの脳なので(笑)、営業チームの売り上げを伸ばすために自分ができることは?っていつも考えてました」

とはいえ、すべて暗中模索。日々の業務が営業成績に貢献しているかどうかさえ分からない。黙々と努力を重ねる日々が続いた。

「営業マンの頭で自分なりに取り組んでいたんですが、それが正解なのかも不安なわけです。でも、営業本部時代に社長賞をいただいたことがあって…。“あ、これで間違っていないんだ…”と手ごたえを感じました。それも、社員旅行で訪ねた第二の故郷、香港で表彰されたんです」

その後産休を挟んで、現在はオペレーションズマネジメント本部に勤務している。

「現在は、法人のお客様から来た注文書を受注入力する仕事です。あとは、EC(オンラインショップ)の受注業務ですね。ECの仕事って、エンドユーザーと直接関わってる部門なので、問い合わせやクレームも目にすることがあって、ユーザーさんの“熱さ”を感じることができるのが嬉しいです」

やはり、営業の醍醐味を知る山岸さんにとって、現場の熱さが懐かしいのかもしれない。

コールマンの魅力は?と尋ねると、その笑顔はさらに明るくなった。

「人ですね。プロダクトを作っている人も、営業も、流通もいろいろな人がこのブランドを支えてるんです。コールマンという言葉を耳にすると、頭に浮かぶのは、まず一緒に働いている仲間の顔なんですよ。このブランドに愛をもって取り組んでいる姿です。そうして作り、送り出した商品を待っていてくれるのが、やはりコールマンへの愛が深いユーザーさんなんです。この関係がずっと続いてほしいですね」

ブランドへの想いは冷静で深い。

「オンリーワンでいてほしいですね。今もそうだとは思うんですよ。でも、これからもぶれずに進んでほしいんです。今の世の中って、メディアがSNSとか多様化していて(他に)影響されやすい環境になっているじゃないですか。だから、他に惑わされずに、いい部分は変わらないでほしいと思います」

山岸さんも今や二児の母。オフタイムにはこんなひと時が…
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お気に入りは「ミニテーブル」。3台持っていて、公園で遊ぶときはもちろん、家の中でも広げてお子さんたちが宿題をしたり、粘土遊びをしたり、お絵かきしたり…と大活躍。お子さんのいる家庭へのプレゼントとしても喜ばれるという
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取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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