西川宏

マーケティング本部 プロモーションマネージャー

西川宏
スタッフへの感謝と、イベントのゲストとのきずなを何度も口にした西川さん

私たちが、商品を含め、コールマンブランドと接する機会はたくさんあるけれど、その中でもイベントは距離を縮めてくれるという意味で別格だ。スタッフと共に長い時間を過ごすことで、ブランドが持つ世界観や価値観、姿勢に直接触れることができるからだ。今回登場してくださった西川さんは入社以来、この業務一筋という生粋のイベントマンである。

COCのイベントやキャンプカレッジ、アウトドアリゾートパークなど、コールマンを代表するイベント会場には必ず彼の姿があり、ご存じの方も多いだろう。

さて、今回、西川さんと会うことになって、どうしても聞いてみたいことがあった。それは、あれほどの回数のイベントを、あれだけのクオリティでこなしていくためのモチベーションをどうやって維持するか…だ。

たとえば営業職であれば、成績という数字が努力や苦労のひとつの指標になる。企画や制作であれば売れ行きや従来品との比較、評判を糧にすることもできるだろう。しかし、イベントはその評価や効果がすぐに客観的な形では現れにくい。ブランドイメージの向上…貢献…そういったものはボディブローのようにジワジワと効いてくるものだ。

そんなことを思い巡らせながら、彼の到着を待った。

小学校3年生で味わった最初の挫折

西川さんは1979年東京生まれだが、小児喘息のような持病で、両親が環境のいい所を…と、すぐに埼玉県の鶴ヶ島の新興住宅地に転居したという。周囲には自然も残っていて、魚を捕まえたり、虫を追いかけたり…という少年時代だったが、すぐにサッカーの楽しさに目覚めていく。

「やっぱりキャプテン翼、漫画の影響でしょうかね。でも、父と兄が熱烈なジャイアンツファンで野球好きなんですよ。…で、サッカーが好きだ!って言ってるのにキャッチボールに付き合わされたり…誕生日になるとグローブが贈られたり、翌年はバットだったりするんです(笑)。仕方なく、“(野球なら)どっちかといえばライオンズかなぁ…”とボヤくと、“宏のためにライオンズのチケットをとったぞ!”って(笑)。そうじゃないんだよ、サッカーが好きなんだよ!って主張しても、結局、小学校を出るまでそんな想いは届きませんでした(笑)」

小学校2年生からサッカー少年団に入った彼は、練習に明け暮れ、その魅力に憑りつかれるが、翌年早くも大きな挫折を迎えることになった。それは後にプロ選手となる天才少年との出会いだ。

「宇留野ってやつが入ってきましてね。とんでもなくすごいんですよ。僕も、頑張れば(プロにも)なんとかなるんじゃないか?と…夜の10時に一生懸命ランニングしたりだったんですが、彼と会って、(プロって)こういうのが上がっていく世界なんだよな…って思い知らされちゃったんです。同じ対戦相手でも、彼が出ると8-0で勝てるのに、出ないと2-1で勝てるかどうか…っていうくらい。たまにキーパーをやらせても、キャッチしたボールをドリブルして相手を全員抜きしちゃうという…(笑)。結局、彼はプロになっていくんですけど」

こうして、彼は大きな夢を捨て現実路線へと転換。県大会を目標にチーム強化へ取り組んでいく。キャプテンに就任し、それまでの年功序列的なクラブ運営から実力主義に変えていったのである。

「1年生は玉拾いとランニングだけ…2年生でどうにか試合形式の練習…という昔ながらの感じを実力主義にしました。でも、その結果、同学年のチームメイトからは嫌われちゃって(笑)。せっかく下積みして試合に出られる学年になったのに、改革で下級生に出番を取られるわけですから(笑)」

サッカーでの経験が現在の西川さんに大きな影響を与えた
サッカーでの経験が現在の西川さんに大きな影響を与えた

サッカーで知った人を動かす醍醐味と楽しさ

ここで彼は人を動かすことの醍醐味と面白さを知る。

「私は守備の担当だったんですけど、抜くとかシュートが下手で、体力だけはあったんです。だから、自分のレベルが分からないように、チームメイトに“あっち行けーっ!”“こっち気をつけろー!”って、常に怒鳴り散らして…。でも、試合の終わり近くになるとみんなバテてきて、上手いやつでも下手になってくるんですよ。それまでみんなを頑張らせていた自分はそこでガーッと動き出す(笑)。周りはビックリするわけです。コイツ、まだこんなに動ける!と」

天才に出会い挫折を味わった彼は、自分の活かし方と、それをベースにした組織としての向上を考えるようになっていった。そして、その経験は今の仕事にも生きていると微笑む。

「いろんなところで影響がありますよ。チームやグループで進める時に、自分が出るべきタイミングや頑張りどころ、引いたほうがいいとき、そして周りに動いてもらうための上手な指示…というあたりでしょうか…」

高校に入ると、バンドなど他の世界に興味が向くようになり、サッカー漬けの生活に別れを告げることになる。そして、後の人生を左右する出会いが待っていた。

「友達の父親が経営する会社が幼児体育を手掛けていて、派遣で幼稚園や保育園に幼児体育の指導をしたり、春休みや夏休みにはスキー教室やサマーキャンプを開いていたんですが、そこでアルバイトするようになりまして。それが楽しくて…高校時代は、とても充実した時間を過ごしました。何よりも先輩、社員がものすごくいい人達だったんですよ。本当に素晴らしかった。集合時間に1分遅れたら置いていかれるほど、厳しかったですけどね。あの時間はかけがえのないもので、自分の人生にとって本当にラッキーでした」

その会社への就職を決意した西川さんは、社員の薦めもあって、準備のために体育系の専門学校へ進学する。

「でも、結局その会社に入らなかったんです。逃げました…(笑)。ずっと世話になってたので、一旦入ったら抜けられないなぁ…と思っちゃって、その前にひとつくらい別のところを経験したいなぁ…と。それと、(子供の野外イベントに)ちょっと慣れ過ぎてるな…油断してるな…と思っちゃって。このままやったら事故を起こしそうだな…と決めつけちゃったんです」

サッカーショップでアルバイトの職を得た彼は、その後、友人と写真現像店を立ち上げたが、ここでも挫折。8ヵ月で手を引くことになった。

「そのショックで、ちょっとした引きこもりになったんですけどね…専門学校時代に、実習で小野川湖のキャンプ場に行ったことを思い出したんですよ。カヌーやったり、山登りしたり、沢登りしたり、その時のスタッフがかっこよくて、すごく楽しそうにしていたんです。なんだか分からないけど、(今の自分は)あそこに行けばいいんじゃないか…と思いつきました。当時の先生に電話をかけ、“今、プー太郎で引きこもりだから会ってほしい”と(笑)。それで、野外教育の手伝いをすることになったんですが、困ったことにギャラが出ちゃったんですよ。会社の金だから受け取ってもらわないと困る…と。じゃあ、自分が納得できるまで手伝おうということになりました」

こうしてスタートした野外イベントスタッフとしてのキャリアは、やがて5社、6社を掛け持ちするフリーランスの日々につながっていった。

「まぁ、結局5年くらいでガイド的な仕事が身について、野外教育イベントではインチキラクター(笑)を名乗れるくらいには成長したと思い始めた頃、コールマンのキャンプカレッジにも関わるようになりました」

イベントのプロとしての自覚と葛藤

やがて、彼の仕事ぶりはコールマンの目に留まり、社員として採用されることになる。「イベントを充実させたいから来てほしい...と。すごい会社だと思ってましたよ。有名だし、どこに行っても商品が置いてあるし。あのコールマンから声がかかった!って有頂天になりました。入社すると、(イベントの)骨組みの部分を社内でしっかり作り上げ、それまでよりも回数を増やそう...ということになったんです。」

それまでの委託される立場と大きく変わったのは、参加者に対する意識だという。しかし、それが彼を追い詰めることにもなっていった。

「今度はお客様から参加費をいただく立場になるわけです。そうなると、1万円いただいたら、絶対にそれ以上の価値をお返ししなければならない...それをお約束できなければならないという意識がどんどん強くなりました。よりよく...よりよく...そればかり思うようになったんです。それは当然のことなのでしょうが、結果としてスタッフにも強く接触したり、常に高いレベルを要求するようになって、いつもピリピリしていたんです。イベントのプロとして(コールマンに)呼ばれたという自覚が強過ぎたんでしょうね。大きなイベントの時には、いろいろな部署の人が応援スタッフとして来てくれるんです。本来のスケジュールを調整してね...。先輩社員もね。今、思えば、そんな僕によく協力してくれたなぁ...と思いますね」

そんな彼の転機となったのが、2013年に始まったアウトドアリゾートパークだ。

「ある総合代理店の協力で開催したんですが、びっくりしました。その規模や華やかさに...。それまでの自分...ひとりでできることの限界を思い知らされたんです。いろんな人が集まって、いろんな角度から考えると、こんなにすごいことができちゃうんだ!とね。もちろん、キャンプカレッジだって、自分なりに一生懸命やってたんです。チームワークのことも頭では分かっていました。でも、本当の意味では理解していなかった。一人相撲だったのかもしれません。小さなイベントでも大きなイベントでも、多くの人の力と知恵が必要であることを痛感したのはあの時でした。

そうしたら、過去のことがいろんなことが全部恥ずかしくなっちゃって...。イベントのプロってことで呼ばれて、調子に乗ってたけど、オレひとりいなくたって全然回るなぁ...って。こりゃ困ったぞ...と。それから自分改革です。それは今でも続いているんです」

イベントでは、参加者が嬉しそうに話してくれると、自分が癒されるという
イベントでは、参加者が嬉しそうに話してくれると、自分が癒されるという

コールマンでいちばん幸せな男

現在の西川さんは、イベントに加え、店頭の販促物や店舗開発にも携わっている。取引先店舗にコールマンコーナーを作るのも大切な業務だが、その時にもこのブランドの大きさを感じるという。

「いろんな人に支えられているブランドですね。本当にそう思います。関わっている方々がみんな前向きで、コールマンのために考えてくださる…商品へのクレームにしても単なる苦情ではなくて常に提案のようなことが含まれていますから…ありがたいですね」

どんな時に仕事の歓びを感じますか?と尋ねると満面の笑みを見せた。

「僕は本当に幸せな仕事をさせてもらってると思うんです。得してんじゃないかと(笑)。体験イベントを手掛けているので、ユーザーの皆さんと直接触れ合えるからです。ウチはメーカーですから、普通は商品を買っていただいて、こっちが“ありがとうございます”と言う立場じゃないですか。でも、僕らの手掛けるイベントには、お客様がわざわざ時間を作って、お金を払って来てくださる。そして、こっちが“ありがとうございます!”って言われるんですよ!社内でいちばん“ありがとうございます”って言われてるんじゃないかなぁ…(笑)。本当に幸せなことだと思います」

インタビューの最後に、例のモチベーションの話を尋ねようと思っていたのだが、この言葉を聞いた時にすべて解けた気がした。社内でいちばん幸せだと笑う彼に、これ以上、何を尋ねるというのだろう。彼を支え、モチベーションの源になっていたのは、ゲストの「ありがとう」だったのだ。

「ウチのチームくらいですよ。いつでもバッグにTシャツ三枚入ってるのは…何せ汗をかきますからね」。

自称“コールマンでいちばん幸せな男”は、そう言って席を立った。今年もまもなくレジャーシーズン本番…彼が東奔西走する季節を迎える。

ずっと欲しくて入社して最初に購入した58QT CH アルティメイトエクス トリーム。「色、容量、保冷力 文句なしです!」と、ぞっこんのようす
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取材と文
取材と文

三浦修

みうらしゅう

コールマンアドバイザー。日本大学農獣医学部卒。つり人社に入社後、月刊 Basser編集長、月刊つり人編集長を経て、2008年に広告制作、出版編集、企画、スタイリングなどを手がける株式会社三浦事務所設立。自称「日本一ぐうたらなキャンプ愛好家」。

1960年生まれ。千葉県市川市在住

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